■Online Journal NAGURICOM
沢栄の「さらばニッポン官僚社会」
短期集中連載(全4回)「企業の公益性とは何か―東芝不正会計事件の検証―」(4)

(共著東日本大震災後の公益をめぐる企業・経営者の責任』(文眞堂)所収 第II部第8章より)

(2016年10月20日)

(3)から続く

6. 上意下達の企業風土

第3者委員会の調査報告書に「社長月例」の会合が再三登場する。これが事件を引き起こす現場になる。この場でカンパニー社長らが叱責され、利益かさ上げに追い込まれたのだ。 幹部らが身をすくめる思いで叱責を受けていたことは想像に難くない。「全員解雇」などという言葉を聞かされれば、切羽詰まってどんなことをしても防がなければならない、という気になっても不思議でない。 会社が慣行のように続けた不法行為に手を染めても、「トップ公認」もしくは「トップ推奨」であればやむを得ない、と観念しかねない。
この上からのパワハラの強圧が、東芝の企業風土となっていたのである。そこには「上意下達」の意思決定を受け入れる幹部・従業員側の盲従性がある。 こういう企業風土では、経営トップが道を誤れば下が道理を引っ込めて追従し、正規ルートから大きく逸脱する危険性が高まる。 この企業風土の下、報告書は肝心のチェック役を担う経営監査部も監査委員会も「内部統制機能が働いていなかった」と結論した。しかし、真相は関係者すべてが職務怠慢だったり不作為だったわけではない。

報告書によると、2015年1〜4月に監査委員会の委員の1人がパソコン事業の会計処理に疑問を抱き精査を再三要望したが、元同社最高財務責任者(CFO)の委員長が申し出を受け入れなかった。 「いまごろ事を荒立てると決算に間に合わなくなって最悪の事態になる」などと言って対応しなかったという。
「おかしい」と思う者は少数だが、実在したのである。このまともな少数意見が、組織の中から弾き出された。「組織の病気」がまともな個人の意見を排斥し、上の意向に従う―ここにガバナンスを壊して経営者の暴走を許してしまう最大の要因が潜んでいるのではないか。 どんなに立派な器(ガバナンス体制)を作っても、経営者がこれを単なる“飾り物”に使えば、器はヒビ割れ、壊れるほかない。 「仏作って魂入れず」の喩えどおり、東芝の作ったガバナンス体制には「魂」が入っていなかったのだ。
東芝の先進的とされたガバナンス体制は、実力者の西室泰三が2005年6月に相談役に退くまでの社長・会長時代の9年間に構築され、進化していった。西室が「生みの親」と言ってよい。 その西室自身が、前述したように後任の西田厚聡相談役からの要請を受け、社長退任後の佐々木則夫の処遇を工作する。当の「生みの親」が、子(ガバナンス体制)を権力抗争の道具として都合よく使ったのだ。ガバナンス体制はこの時、すでに形骸化していた。

東芝の不正会計事件は、未然に防ぐことができた。経営者、幹部がそれぞれにおのれの職務に忠実であれば、そもそも不正会計に手を染めることは起こりえなかった。
「職務に忠実」とは、モラルを持ち、自己を律することである。上司が命令しても、職務上のモラルに反すると考えるなら、反対か不服従もしくは別のまともな方策を提案する道があるはずだ。 このモラルを最も強く保持すべきなのが、経営トップであることは言うまでもない。トップには、指導力が必要とされ、指導力には徳性が求められる。

7. 土光敏夫の経営哲学

この観点から1人の先達が、偉大な経営者モデルとして浮かび上がる。土光敏夫(1896〜1988年)である。
土光は、経営再建した石川島播磨重工業(IHI)社長から東京芝浦電気(現・東芝)の再建を依頼され、社長・会長に就任。再建後、経団連会長を経て第2次臨時行政調査会(土光臨調)の会長に就き、国鉄民営化をはじめ行政改革に尽力した。
土光の経営哲学は「日本資本主義の父」と呼ばれた渋沢栄一の系譜を引く。 渋沢は「論語」(道徳)と「算盤」(実利)の一致を経営哲学としていた。その著『論語と算盤』でこう書いている。「利殖と仁義の道とは一致するものである」「真正の利殖は仁義道徳に基づかなければ、決して永続するものではない」。 渋沢はこういう名言も残している。「商売をする上で重要なのは、競争しながらでも道徳を守るということだ」。

土光は質実剛健の硬骨漢と見られ、「信念の人」とか「清貧の人」とも言われた。NHKのTV報道「行革に挑む土光敏夫」で、家庭での食事時が映され、メザシを食べていたことで庶民から「メザシの土光さん」と呼ばれて親しまれた。 石川島や東芝を再建した腕前は、その真っ直ぐで誠実な人間性に由来していることが分かる。
土光語録によると、―
「われわれのサラリーマン生活は、みようによれば、最初の十年が人に使われる立場、中の十年が人に使われながら人を使う立場、後の十年が人を使う立場、と移り変わってゆく。
その間、立場の違いというものが、いかに人間の考え方や行動を束縛することか。…一応大過(たいか)なく切り抜けて来れたといえる人は尊い。
そのような人が信奉してきた行動の基準は何であろうか。私はそれは『使われる立場にいるときには使う立場にも考えを及ぼし、使う立場にいるときは使われる立場を思いやる』ということではなかったかと思う」。
権力意識を持つことを戒め、「権力」と「権威」との違いを強調した。
「一つの組織体を一定の目標に向けて動かすためには、トップにある力が必要である。ある力はいろいろな現われかたをする。それは「権力」的な現われかたと「権威」的な現われかたに分けられる。
トップでもマネジャーでもそのポストからじかに生まれる力を持っている。これが権力である。これに対して、権威はトップやマネジャーに必ず備わっているとはかぎらない。権威は内から自然に身につくものだからである。…企業の場でも、権力の殺人剣によらず、権威の活人剣によって、組織が生き生きと動いていくのが望ましい。権威が先行し権力がそれに従えば組織は強くなる」
商売の機微にも鋭敏だった。
「入社試験のときに、多くの志願者に「あなたの家では何か東芝商品をおもちですか」と訊(たず)ねたところ、実に90%近くの人が何かしらもっていた。そこで考えた。不合格者だとて東芝製品の潜在愛用者なのだから、おろそかに扱っては罰が当たる。その人たちが、たとえ不合格になっても、東芝にいいイメージを持ち、固定ファンになってくれればありがたい。ということで、不合格者への通知にも、十分な神経を使い、心のこもった文章を綴(つづ)った。不合格になった人たちも、けっして悪い気はしなかっただろう」

おわりに

「なんというざまだ。情けない。土光さんや石坂(泰三)さんの墓前で土下座しろ!」。2015年9月30日に開かれた東芝の臨時株主総会で、2000人近くも集まった株主の間からこういう怒声が上がった。「メザシの土光さん」とのあまりの違いに、その株主は思わず声を張り上げてしまったのだろう。
他方、歴代3社長は「チャレンジ」を掛け声に幹部らを不法行為に追い込んだことが判明している。 ところが、このキーワードとなった「チャレンジ」を最初に使い、社員を指導したのは、土光敏夫であった。東芝元社長・会長の西室泰三によると、難しい課題に挑戦して結果を出せという趣旨で使い始め、これが引き継がれて東芝では普通に使われる言葉になったという。 「チャレンジしろ」は、しかし、前出の歴代3社長に至って「利益水増しへの挑戦」の意味に変質する。ニセ札ならぬニセ言葉づくりである。東芝の文化をねじ曲げてしまったのだ。
東芝不正会計事件は、経営に大きな教訓を残した。第1に、会社がどんなにコーポレート・ガバナンスの立派な器を作ろうとも、経営トップがこれを平気で無視すれば無用の長物になることだ。単なる飾り物に過ぎなくなることだ。 新しい皮袋には、良質の新しいワインが入らなければならない。「良質の新しいワイン」とは、「公利公益」を追求する経営哲学を持ち、開かれた心と国際感覚で対処する経営トップである。
教訓の第2は、幹部・社員の意識が「上に従う」軍隊型だと経営トップの暴走を許してしまうことだ。上意下達の一方通行の社風こそが、トップ暴走の温床となる。
教訓の第3は、構築したガバナンスの制度と運営に欠陥があったことである。そもそもガバナンスに本気で取り組んだのか疑われる。それは社外取締役の選任にも表れた。 事件発覚当時、ガバナンスのチェック役の社外取締役は全部で4人いた。しかし、うち2人は専門外の外務省OBの元外交官であった。無難な人選と箔付けのため、元高級官僚を起用したのは明らかだった。

以上の経緯から、東芝の根本的な再建には先行していたガバナンス体制を骨抜きにした「経営主体」を入れ替えることから始めなければならない。同時に、「上からの命令」に盲従する「企業文化」も、改めていかなければならない。 まずは立派な「経営主体」を得て、次にガバナンスの再構築に取りかかる手順が重要だ。この一連の再建プロセスを情報公開によって透明化していかなければならない。 東芝の信頼回復は、的を得た再建プロセスと、その不断の情報公開によって可能となる。
東芝は「メザシの土光さん」の経営哲学に立ち返り、再出発することが再生への最初の手掛かりとなろう。この原点から改革の車輪を転がしていく。 その第1段階で、経営者・幹部・一般社員に対する集中的な経営像・企業像に関する教育・研修プログラムの実施が、企業再建に向けた欠かせない選択肢の1つとなろう。 (敬称略)■