■Online Journal NAGURICOM
沢栄の「さらばニッポン官僚社会」
短期集中連載(全3回)「原子力発電に公益性はあるか」(1)

( 現代公益学会編『公益法人・NPO法人と地域』(文眞堂)所収。2018年4月25日記)

(2018年11月15日)

はじめに

原子力の平和利用として国が進めた原子力発電政策がいま、重大な岐路に立っている。2011年3月に発生した東京電力福島第一原発事故がきっかけだ。安倍晋三・自民党政権は事故で停止した原発の再稼働に舵を切り、新たに安全規制基準を設けて再稼働を急ぐが、国民の過半が原発への不信・不安から依然これに同意していない。
立憲民主党ら野党4党は2018年3月、「原発ゼロ基本法案」を通常国会に共同提出、原発の全廃と再生可能エネルギーなどへのエネルギー転換を迫った。しかし現実をみると、失敗続きでいまなお将来展望を示せない国の原発推進政策は、すでに行き詰まり、事実上、破綻しているのは明らかだ。以下に、その破綻状況を推進リスク、持続可能性、経済合理性の三つの視点から検証してみよう。

1. 「夢の原子炉」の破綻

高速増殖炉原型炉「もんじゅ」(福井県敦賀市)の破綻が、原発政策の挫折を示す。もんじゅを運営する日本原子力研究開発機構は2017年12月、もんじゅの廃炉計画を原子力規制委員会に提出し、認可された。それによると、2018年7月から核燃料取り出し作業に入り、30年間で廃炉を終える。文部科学省は廃炉費用は3750億円に上る、と試算した。
もんじゅの廃炉は格段に難しい。普通の原発と違い、冷却材に液体ナトリウムを使っているからだ。ナトリウムは水や空気と激しく反応する危険な性質がある。
もんじゅはウランとプルトニウムの混合酸化物(MOX)を燃料に、発電しながら消費した以上のプルトニウムを生み出す「夢の原子炉」と謳われた。核燃料サイクル政策の中核施設(図表1-1)と位置付けられ、94年に初めて臨界(核分裂連鎖反応)に達して運転を開始する。しかし翌95年にナトリウムが漏出。長期にわたる運転停止後も立ち直らず、2010年に炉内への装置落下、12年に約1万点に上る機器点検漏れ―などと事故が相次いだ。この間、運転期間はわずか250日(注1)。
原子力規制委は15年、トラブル続きのもんじゅを見限り、運営主体を日本原子力研究開発機構から他に代えるよう所管の文部科学省に勧告したが見つからず、政府は16年12月、廃炉決定を余儀なくされた。
ここで浮かび上がったのは、事故はことごとく管理・点検の手抜かりが原因だったことだ。人為的ミスによる制御不能である。このことは、原発の扱い自体が危険きわまりないことを示す。

もんじゅ計画の破綻は、もんじゅが中核的な役割を担うはずの核燃料サイクル政策の破綻を意味する。だが、経済産業省は核燃料サイクル計画の破綻を認めず、もんじゅ抜きで政策の継続を決めた。使用済み核燃料からMOX燃料をつくり、これを普通の原子炉(軽水炉)で燃やすプルサーマル発電を推進する一方、新規の研究開発に取り組むというのだ。
しかし、もんじゅ以外の核燃料サイクル計画も、頓挫している。日本原燃が青森県六ケ所村で1993年から建設を続ける再処理工場が立ち上がらない。97年の完成予定だったが、トラブル続きから延期を繰り返した挙句、17年12月、23回目となる完成の延期を発表。予定していた18年上半期から3年先に延ばした。すでに2兆円超の国費が投じられた。
再処理工場は原発の使用済み核燃料からウランとプルトニウムを分離・抽出し、MOX燃料として再利用する道を開く。これがいまになっても完成できない。経産省の試算によれば、全国の原発から受け入れた使用済み核燃料のうち年間800トンを40年にわたり再処理する場合、再処理事業の費用総額は12兆6000億円にも上るという。
完成しても安定した運営ができるか疑わしい上に、莫大な費用がかさむ。

2. 原発7基が再稼働

もんじゅの破綻にもかかわらず、安倍政権は原発を引き続き「重要なベースロード(基幹)電源」と位置付け、再稼働を進める。福井県の西川一誠知事は2017年11月、関西電力大飯(おおい)原発3、4号機(同県おおい町)の再稼働に同意した。福井地裁の判決で運転差し止め状態だったが、原子力規制委員会が17年5月、原発事故後の新規制基準に「適合」と判断したのを機に再稼働に踏み切った。
14基もの原発が集中する福井県は、国の交付金や補助金、原発事業によるビジネスや雇用の活況など原発の経済的恩恵を受け、再稼働に好意的だ。西川福井県知事は「再稼働は地域に役立つ」と強調した。
福井県ではすでにおおい町の隣の高浜町にある関西電力高浜原発3、4号機が17年に再稼働している。大飯の2基が稼働すると、新規制基準下で初めて同一県内で2カ所の原発が運転再開される。

しかしこの結果は、重大な原発リスクをもたらす。大飯と高浜両原発は13キロほどしか離れていない。仮に2原発が同時に事故を起こした場合、住民は無事に避難できるか―。内閣府などが大飯原発の事故に備えて策定した広域避難計画は、事故の同時発生を想定していない。
住民の不安はつのる。共同通信が17年12月に発表した大飯、高浜原発周辺自治体へのアンケートによると、対象市町の6割超が「同時事故を想定するべき」と答えた。アンケートは30キロ圏の14市町と避難先の68市町(5市町は重複)が対象。再稼働を巡る懸念を尋ねたところ、「事故時の住民避難計画」が最多で9市町に上った。次いで「使用済み核燃料の中間貯蔵施設の建設めどが立っていない」、「高レベル放射性廃棄物の最終処分方法が決まっていない」が共に8市町と続いた。京都府内6市町の周辺住民は再稼働に際し、同意権を求める。
福井県にある14基の原発が、連鎖的に事故を起こす最悪のケースも否定できない。原因は地震・津波ばかりでない。テロの可能性もある。
政府は再稼働に前のめりだが、18年3月末時点で再稼働した原発は7基にとどまる。

ここで国策としての原発再稼働の根本的な問題が二つ浮かび上がる。
まず再稼働した場合、国として原発の安全を保証できるのか。地震や津波、テロという外的な要因に対する完全防衛はそもそもあり得ないが、これに加えて機器や部材の故障・劣化やもんじゅの検査手抜きのような人為的ミスによる事故発生を防げるか。
二つめは、核のゴミとされる使用済み核燃料(高レベル放射性廃棄物)の処理問題だ。中間貯蔵施設は青森県むつ市に建屋が完成し、順調にいけば18年内に稼働する見込み。だが、最終処分については地中深く埋める地下貯蔵方式を決めたものの、その処分場所さえも決まっていない。国は最終処分場を受け入れてくれる自治体の公募を続けているが、いまもって応募者が現れない。
核のゴミの処分先が見つからないのだ。

3. 失われた人と土地

過酷事故がひとたび起これば、住民の生活は根こそぎ破壊される。この恐ろしい現実を直視しなければならない。
福島第一原発事故により、なお7万2千人以上の元住民が避難先から帰っていない。第一原発が立地する大熊、双葉両町の全域と、近隣5市町村の帰還困難区域には依然、人が住めない。年間積算放射線量が50ミリシーベルトを超えるためだ。
事故は住民を散り散りにさせたばかりでない。人の住める土地が失われた。避難指示が解除されない帰還困難区域は、いまなお全体の3割強を占める。かつてここで生活を営んだ住民は、故郷喪失者となった。
福島県の各地で黒いシートに包まれて仮置きされている汚染土などの放射性廃棄物は、大熊町と双葉町に跨(またが)る福島第一原発周辺に造る中間貯蔵施設に移される。付近が“永久のゴーストタウン”に化すことは間違いない。

桜が満開の2017年春。筆者は、事故のお膝元で最もひどく被災した福島県浪江町を支援ボランティアと共に訪れた。町の一部が避難指示を解除された直後だ。
浪江町で真っ先に行った町役場隣のショッピングモールで、たまたま訪れた元住民に出会った。40代初めと見えるその男性は、背の曲がった祖母とベンチに座って日向ぼっこをしていた。
どうしてここに来たのか、と問うと―
「90歳のおばあちゃんが帰りたい、帰りたいと言うから、休暇を取って(一時的に)帰って来た。自分たちはいま、(埼玉県)狭山に避難している。おばあちゃんと父は帰りたがっているが、自分と子供はいま住んでいるところがいい。放射能の不安もある。世代間で意見が違う。でも、若い人が帰って来なければ、(町の再建は)ダメだろうな。複雑な気持ちでいる」
男性が胸の内を明かした。望郷と町の復興に貢献したいとの思い。他方で家族を養わなければならない現実。この狭間で、気持ちが揺れる。6年に及んだ避難生活は、一家4世代の故郷への思いを真っ二つに分断してしまった。

原発事故による浪江町の被災状況はどんなだったか。浪江町役場によると、町内全域2万1000人超の町民がすべて避難対象となった。多くが避難先を転々とし、町役場も1年半で4回移動した。長引く避難生活による町民の事故関連死は400人を数えた。2018年3月時点で帰り住む町内居住者は516人。
町は苦闘する中、公共インフラの復興を進め、18年4月には小中学校併設校の浪江校(校名は「なみえ創成校」)を開校した。小中学生計10人が集まり入学した。生徒数はごく少数だが、学校側は「教師と生徒が相(あい)対(たい)になって主役意識が育つ。個別対応でいい教育ができる」と意欲的だ。
原発事故がなければ、人々は美しい自然の中で平和な日常生活を過ごしていただろう。突然、わが家を追われて転々とし、学童がいじめに遭う苦労など、しなくて済んだのだ。

(2)に続く

(注1)
もんじゅの先輩格の高速増殖炉「スーパーフェニックス」は、フランスを中心とした欧州各国の共同プロジェクトとして1986年に運転を開始。しかしナトリウム漏れ等トラブルが続き、フランス政府は98年に「コストがかかりすぎ、技術的に実用化の見通しが立たない」と廃炉を決めた。現在、廃炉に向け炉心燃料の取り出しとナトリウムの抜き取り作業を進めている。





(図表1-1) 核燃料サイクルの仕組み
<資源エネルギー庁『エネルギー白書2005』を基に筆者作成>