■Online Journal NAGURICOM
沢栄の「さらばニッポン官僚社会」
<番外篇>個人事業主に過酷すぎる圧迫/契約なき請負仕事の苦難

(2019年11月5日)

年金以外に「老後資金2000万円」が必要―金融庁が6月に発表した報告書は、国民の老後生活に不安の波紋を広げた。だが、この数字は厚生年金に加入する普通のサラリーマンの生計がモデル。国民年金に頼るしかない自営業者などにとって、将来不安は底知れない。現役時代にたとい満額の保険料を25年間、毎月払い続けたとしても、老後の年金受給額はたったの月約6万5千円にすぎないからだ。
とりわけ弱い立場に置かれている個人事業主(法人化していない自営業者やフリーランス)の現実を見てみよう。

典型例の一つは、軽トラの運ちゃんたちだ。日本中の道路をせわしく行き交う宅配便。その一般貨物輸送の9割以上を個人事業主ら全国の中小零細業者が担う。
まず宅配事業で約半分のシェアを握るヤマト運輸の荷物の大まかな動きを説明しよう。集荷拠点「ターミナル」に到着した荷物は、シールに貼られたバーコードに従って自動仕分けされる。行き先ごとに分けられた荷物は、パレット(荷物をまとめて保管したり運搬するための台。ヤマトでは主にキャスター付きを使用)に収められ、大型トラックに積み込まれる。これらの作業が終わるのは、おおかた深夜。
このあと未明から早朝に、トラックドライバーが高速道路を走って目的地のターミナルや各地域のセンター(営業所)に荷物を運ぶ。そこで早朝担当者の手でさらに配達時間帯や担当地域ごとに仕分けされ、小型トラックに積み替えられて、別のドライバーにより個人宅や企業に運ばれる。
ターミナル間やターミナルと地域センター間、センターから個人宅や企業への荷物の集配に至る運送の大部分は、大手宅配業者傘下の下請け業者や地域の運送事業者に委託されている。

ヤマトを中心に取扱い個数が急増していったのは、ネット通販の登場による。アマゾン・ジャパンとの契約が急拡大した2013年にはヤマトの荷物量は前年比12%増え、17億個近くに達した。しかし、超繁忙で手が足りなくなる中、2016年に未払い残業が表面化。これをきっかけに、トラックドライバーの休めない長時間労働、過酷なノルマ、荷役作業、支払われない労働の対価問題などが、一挙に噴き出した。
業界最大手ヤマト運輸の「宅配クライシス」は、たちまち物流危機に波及する。ネット通販の興隆で、サービスは従来の「翌日配達」から「当日配達」にまで広がった。消費者は不在の時は「再配達」を依頼すればよい。
これが現場の負担を増す。実際、商品の2割程度は「再配達」だ。「送料無料」で注文品を送ってくれる通販会社も増えた。書籍に始まり衣服や生活・娯楽用品、家電、家具、生鮮食品など、今ではネットで買えない商品はほとんどなくなった。
消費者の側から見れば、当たり前となったこの消費生活は、カネさえあれば物質的には無上に便利で、何一つ不自由なく手に入る。「宅配サービスの拡大、大歓迎」となる。

しかし、極端化する利便化生活のしわ寄せをじかに受け、疲弊するのが「遅配を許されない」トラックドライバーだ。
物質生活の利便性が行き着いた先、日本の物流を九割方支えるトラックのドライバー不足はますます深刻になった。サービスが増え、手が足りなくなれば、現場の一人当たりの作業は一層きつくなる。
トラックドライバーの長時間労働は過酷にすぎる。政府の過労死等防止対策白書(平成30年版)によると、脳・心臓疾患の労災認定件数の3分の1強の89件(2017年度)を「自動車運転従事者」が占める。うち断トツに多いトラックドライバーの場合、長時間労働に加え、「拘束時間が長い」、「早朝・不規則勤務が多い」が発症の要因に挙げられている。働き方から来るストレスで、脳出血や心臓マヒが多発しているのだ。
トラックドライバーの週平均労働時間は2016年時に54時間、全産業平均の45時間より9時間も多い。週にほぼ1日分も多く働いている(総務省「労働力調査」)。拘束時間の長さも、一運行当たり平均12時間27分。大型トラックは12時間50分。16時間超も全体平均で13%に上った。
荷主の都合などによる「手待ち時間」は平均48分だが、なんと10時間待たされた例も政府の実態調査(2015年)で明るみに出た。

労働条件の悪さは「拘束時間の長さ」にとどまらない。
ドライバーの本来の仕事は、貨物運送のはずだが、その前後に貨物の積み卸しなどの荷役作業をやらされる。日本物流団体連合会の運送各社計174社を対象とした実態調査。それによると、「トラック等の積み卸しの際、手荷役を行う現場はありますか」との質問に4分の3の76%が、「行われている」とし、その半数以上は「特定の荷主や拠点に限り、継続的に行われている」と回答した(「トラック幹線輸送における手荷役実態アンケート調査報告書」2016年)。
手荷役をドライバーの約8割が担い、しかも荷役料金を荷主が支払わない割合は、7割強にも上ることが判明した。“契約なき請け負い”のせいで、本来の運送業務を超えた手荷役作業を課され、タダ働きさせられる不当な慣行が横行しているのだ。

手荷役の中でも、ひと際厄介なのが「バラ積み」だ。ダンボールなどをトラックに一つずつ抱えて積み卸す作業だから、負荷が大きい上に時間もかかる。
あえてパレットを使わずにトラックにバラ積みさせていた発荷主の一つが花王だ(現在はドライバーの労働負担を減らすため、パレット使用を再開)。同社によると、栃木工場で生産される紙おむつは、バラ積み輸送にすることでトラック1台当たりの積載量は平均約30%も増え、トラック便数を年間1300台以上削減できるコスト効果が見込まれたためという。
バラ積みによって、ドライバーの負担はずっしり重くなる。さらに手荷役作業の間、“順番待ち”で待機する他のトラックドライバーの「拘束時間」も長引かせる。

問題の中心にあるのは、弱い立場にある中小零細運送業者の契約なき悲劇だ。宅配便市場を見てみよう。グループ全体で約20万人の従業員を抱えるヤマト運輸を筆頭に、佐川急便、日本郵便の3社でシェアの9割以上を占める。しかし、その一般貨物の市場に、6万を超える中小零細の個人事業主らの運送事業者が参入し、過当競争を繰り広げる。
日本郵便のゆうパックの集配も、郵便局員がやるわけではない。多くは地域の運送業者が請け負う。個人事業主が、請け負った自らの配達体験を明かした。 「ゆうパックを受託する地域の運送業者にまず、雇って下さいとお願いしました。もちろん契約書はなし、郵便局との関係などありません。その運送業者には当時1個180円の配送料から70円もピンハネされていたことを後に知りました。1日1万円稼ぐには100個の配達が必要。早朝から荷捌(さば)き、最終の配達は9時まで。休みは盆暮れもなく、週1回だけ…。年金支払いは半減を申し込み、健康保険は払っても医者にも行けなかった」
この個人事業主によると、運送業の経験上、どこともきちんとした請け負い契約を結んだ例はない。これはあの世間を騒がせた吉本興業だけの問題ではない、という。


フリーランスも理不尽な苦しみ

個人事業主の苦難は、運送事業者にとどまらない。 芸能やメディアなどの業界で個人で仕事を請け負うフリーランスも同様だ。内閣府によると、全就業者に占める割合は、本業のフリーランスが約3%、副業を合わせると5%ほど。本業フリーランスは6.9%を占める米国の4割程度だ。「個人の能力・技能を発揮できる専門職」と謳われ、フリーランスへの関心は高まる。
だが、仕事場では同様に弱い立場につけ込まれ、“契約なき慣行”やハラスメントに苦しめられる。日本俳優連合など3団体が、9月に初めて発表したフリーランスへのハラスメント実態調査(対象1218人)。それによると、6割がパワーハラスメント、4割近くがセクシャルハラスメントを受けたと回答。その約半数は、被害を誰にも相談できずに心に傷を抱えていた。
ほとんどは、仕事の発注や配役や出演を指名する側からの振る舞いだが、やる方は「よくあること」と加害を自覚していないケースが多い。

被害者の自由記述回答を見ると、生々しい実態が浮かび上がる。一部を引用すると―
女優・30代「マネージャーに脱げないと仕事がない(私は脱げないと宣言していた)と言われた」
女優・30代「キャスティング権を持つ男性に逆らえず、性的関係を強要された」
女性演奏者・30代「性的交渉を強要される。その上で公表したら仕事がなくなるのは当然と言われる」
女優・20代「主催者の自宅で稽(けい)古(こ)をすると言われて行ったら、お酒を飲まされて性的な行為をさせられた」

相談しても解決しないと思った理由について―
女優・30代「レイプに近い形でセックスを強要されたときは、仕事がうまくいかなくなることを恐れて最後まで死ぬほど抵抗はしきれず諦めてしまったから」
女優・30代「よくあることとして笑い話になっている空気が充満しており、業界全体の認識が変わらなければ解決しないと感じたから」
女優・20代「精神的に参っていて言う勇気もなく、うまく伝えられる自信もなく、何よりその事実を口にするのが嫌で仕方なかったから」
女優・30代「パワハラ、セクハラは当たり前のものであり、多くの人が麻痺しています。いけないことだということを知らない人が多いので、相談するに至りません」
女優・10代「フリーで役者で未成年というのは最も弱い立場だと感じます。我慢しないと干されるという恐怖感があるのだと思います」

対策の提案について―
男優・40代「(ハラスメント、ヒエラルキーによる差別を防ぐには)契約書によって厳密化して(当事者)双方に意識させ、契約の内容に盛り込むことがまずは大前提だと思います」
女優・40代「手軽なメール相談窓口が必要。業界を熟知している人が相談員として登録し、業務を遂行するような団体を“業界関係者で設立”するべきだと思います」
女性演奏家・30代「少ない人数で少ない仕事を回していることが問題。演奏家という仕事を国家資格にして、演奏活動には資格が必要、かつハラスメントなど不適切なことがあれば資格剥奪され演奏活動が不能になるなど、法整備もしてほしい」
男優・30代「芸能系は特にブラックであることが当然と思っている人が上に立っています。それを打破できない限り、現状は変わらないと考えます」

6割が被害を訴えたパワハラについて―
女性アートディレクター・20代「(発注書もなかったので)『一筆書いてほしい』と言ったら『仕事を切るぞ』『発注書がほしいとか言うんなら、最初から仕事しなかった』と言われた」
女性漫画家・40代「無償での追加作業(際限なく要求されることも)、納品が完了しないと代金が支払われないので抵抗できない」
女性編集者・50代「会社組織でない個人事業主だからという理由で、消費税や経費を払ってくれない取引先もいる」
女性通訳・翻訳・60代「公的機関でありながら、就業条件、報酬等勝手に改悪しているところがある」
女性編集者・40代「事前に(仕事の)条件提示のない会社も多い。『契約書を作ってください』と依頼することで『面倒なフリーランス』と認識されることも」
女性脚本家・30代「セクハラやパワハラに堪えかねてやめていく、残ったとしても人格が歪んでしまう。本当にたくさん見てきました」
女性編集者・50代「働き方改革は正社員の残業をなくす分、スケジュールが厳しくフリーランスにしわ寄せがきている。しかも、(仕事上の)要求は増えているのに料金は低くなっている」
女性漫画家・40代「発注側と受注側(個人事業主)が対等に取引できる契約書が必要」
女性アートディレクター・50代「仕事を依頼するからには最低限守られる契約の形とかあればと思います」
女性アートディレクター・40代「フリーランスは訴えに出ると仕事がなくなる(収入が減らされる)のでは、と常に弱い立場でおびえている。女性だからという理由で受けるハラスメントの多さを理解してほしい」

以上のように、フリーランスの立場は、業界の風土を映して殊更弱く、相手側からつけ込まれやすい。国の年金政策も、働き方改革も、弱者で少数派の個人事業主はそもそも政府当局者の念頭に置かれていない。 同じ働くサラリーマンも、自らの年金受給額に関心を向けるばかりで、はなから老後の生活をあきらめている多くの人の実情を知らない。

しかし、風向きは変わった。ネットを通じた新しい働き方の台頭や人手不足による物流危機は、個人請け負いの存在価値を浮かび上がらせた。ニューヨーク市は2017年、「フリーランスはタダじゃない法」を施行。最低賃金を決め、800ドルを超える仕事は契約書の作成を義務づけた。
米配車大手のウーバー・テクノロジーズの本社があるカリフォルニア州では、2020年1月に労働者保護(運転手は個人事業主)のための州法を施行する。ネットを通じて単発の仕事を請け負う個人事業主らを従業員として扱い、社会保障税などの負担をウーバーに課す。
日本もこれにならい、まずは契約書の作成や従業員同様の扱いを義務づけ、法制化する必要がある。苦しむ個人事業主への理不尽な慣行をやめさせ、能力・技能を発揮できる働きやすい環境を作る必要がある。そして現行の年金モデルを根本から改革し、基礎年金で国民に必要最少限の生活が維持できるようにしなければならない。