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沢栄の「さらばニッポン官僚社会」
<番外篇>人類初の北米移住/北海道発? 航海ルート説浮上

(2019年9月19日) (山形新聞『思考の現場から』 9月19日付)

人類の最初の北米移住が、定説を覆し、南北アメリカ大陸で最古の1万6000年ほど前、太平洋沿岸に到達して始まったとの新証拠が見つかった。これにより、日本を含む北東アジアから小舟で沿岸沿いを航海してきた可能性が浮かび上がった。

この研究成果は米科学誌「サイエンス」8月30日最新号に発表された。 米アイダホ州西部にあるコロンビア川沿いの遺跡「クーパーズフェリー」を国際考古学調査チームが発掘調査した結果、人類初の北米移住が氷床が後退(1万4800年前以降)し、陸の交通ルートが開かれる以前の1万5280年前から1万6560年前の間に遡ることが判明したのだ。 移住者らは、北方を氷が覆っていた陸路ではなく北東アジアから海路、太平洋沿岸に小舟で着いた、との新説を打ち出した。 さらに狩猟の矢尻などに使った有茎尖頭器(stemmed projectile point)と後期旧石器時代の北海道北部・上白滝遺跡の出土石器との類似性を指摘した。

小舟で米国沿岸に

従来の定説では、北米の最初の移住者(クローヴィス石器文化人)は、有力な説では1万3000年ほど前にかつてシベリアとアラスカを結んだベーリング陸橋を渡り、北米の氷床が融けてできた無氷回廊を旅して南下し、移住していったと考えられていた。 しかし近年は、カナダのブリティッシュ・コロンビアから南米チリに至る広範な太平洋沿岸地域にわたり、遺跡の調査などから航海ルート説を支持する議論が起こっている。
今回の最新調査で、これまでに考えられていた遥か以前に、人々が北東アジアから小舟に乗り、太平洋沿岸を航海しながら北米にやって来た、との推論が導かれた。
調査は、米英日の考古学者ら17人から成る国際的な混成チームが取り組んだ。日本からは首都大学東京の出穂雅実・准教授と飯塚文枝・客員研究員が参加した。 ここ10年来の発掘区を広げた調査で、1997年に始めた初回調査時よりも深い地層から両面加工石器や木炭、動物の骨や歯のかけら、動物の解体場など、より古い時代に遡る遺物が発見された。 これらの遺物と堆積層を放射性炭素年代測定し、光ルミネセンス年代(OSL)測定と照らした結果、前回調査で推定した約1万4000年前より古い1万6000年ほど前に、人々がすでに居住していた事実が突き止められた。

“作り”酷似

米学術誌で国際的に広い読者を持つ「ナショナル・ジオグラフィック」は、この発見についてウェブサイト(日本語版)で9月6日に報じた。 今回の論文を執筆した米オレゴン州立大学の考古学者ローレン・デーヴィス氏は、同誌の取材に対し「発掘につれてより古い出土品が次々と現れたが、そこまで古いとは考えてもみなかった」と驚きを隠さない。

この年代判定の結果、ベーリング陸橋から北米大陸を南下できる無氷回廊が現れる以前に、アメリカの地に人が移住していたことが裏付けられた。同誌によると、デーヴィス氏は次のように推測する。
人々は太平洋岸を舟で下って来てコロンビア川の河口に出くわした。ここで沿岸の船旅を終え、氷床の南の地域にうまく入っていける内陸ルートを見つけた、と。
ここで注目されるのは、クーパーズフェリーで発見された有茎尖頭器と、1万6000〜1万3000年前に作られたと推定される、北海道北部の上白滝遺跡で見つかった同石器の“作り”が酷似している点だ。 もしかしたら、同時代に北海道の住人が石器を携え、航海ルートで北米沿岸に移住したのだろうか。謎は深まる。

北海道遺跡と関連するか

この新説が考古学的発見のブレイクスルーとなり、重要な研究課題を突きつけたのは疑いない。 航海による沿岸移住が「いつ、どこから出発して、どういう経路で、どのような航海方法で」実現したかが、今後の研究テーマとして浮上してきた。 北東アジアからの沿岸移住という仮説を検証していく過程で、「北海道発のアメリカ沿岸移住」という可能性も、現実味を増してくるかもしれない。

北海道と北東北には、1万年以上にわたって続いた縄文遺跡郡が豊富に分布し、三内丸山遺跡のように今なお採掘・発見が続く。4道県と関係市町は現在、縄文遺跡郡の世界遺産登録を目指す取り組みを進めているところだ。 これら遺跡群のうち大平山元遺跡(青森)で、約1万5000年前の日本最古級の無文土器片が見つかっている。縄文文化に先立つ今から1万6000年ほど前、類似した有茎尖頭器を持った北海道遺跡とクーパーズフェリーとの関連性の研究に、世界の関心が集まるのは間違いない。