■Online Journal NAGURICOM
沢栄の「さらばニッポン官僚社会」
<番外篇> 安倍政権周囲の言動と、見えぬ着地点/米の不信感は根深い

(2014年5月19日) (山形新聞「思考の現場から」5月17日付掲載)

4月24日に東京で行われた日米首脳会議で、オバマ大統領が尖閣諸島への日米安保条約第5条(両国のうち一方が武力攻撃を受けた場合の共通行動)の適用を明言し、共同声明にも盛り込まれた。 防空識別圏の一方的な設定など中国の挑発が続く中、大きな成果を得たと言える。

しかし、このことは米政府の安倍外交への信頼を必ずしも意味しない。オバマ大統領は中国との緊張を平和的に解決するよう求め、共同声明には「この地域における各国の政府及び軍の間における信頼醸成措置(confidence building measures)の確立を強く促す」という文言が入った。
米国としては日本と同盟関係にある以上、尖閣の共同防衛に言及しないわけにはいかない。これまでクリントン前国務長官ら米政府高官が言ってきた安保条約の適用を大統領自らが確認した形だ。 一連の対日米外交の延長にあって、何も新しい裁断とは言えない。が、大統領が明言したこと自体に意義があったわけだ。

政府は、オバマ氏を国賓扱いとし、日米同盟の緊密ぶりを演出した。外交ウォッチャーによると、安倍首相はオバマ氏との会談などで11回にわたって親しげに「バラク」とファーストネームで呼びかけた。しかし、オバマ氏が「シンゾー」と、安倍氏をファーストネームで呼んだのは、銀座の寿司屋で会った時の1回だけだったという。
このファーストネームでの呼称比率「11対1」が、日米関係に陰りが生じていることを物語る。
それは米側の忠告を無視して昨年12月に安倍首相が強行した靖国神社参拝が引き金になった形だ。米政府は突然の参拝後、ただちに「失望した」と表明。これに続き、米議会の調査局も今年2月に「日米両政府の信頼関係を一定程度損ねた可能性」を指摘した。 米国の政府、議会、マスメディアとも靖国参拝に批判的だったのだ。

しかし、米側の安倍首相への違和感、不信感にはもっと根深いものがあるとみられる。
1つは、安倍首相が任命した“お友だち”の極端な言動だ。首相補佐官は米政府の「失望」声明に「こちらこそ失望した」とウェブで発信。今年に入って任命されたNHK会長や経営委員の公共放送の立場をわきまえない発言が続いた。 作家の経営委員は、戦犯を裁いた極東国際軍事裁判を米軍による東京大空襲や原爆投下の「大虐殺をごまかすための裁判だった」と公言、米政府の反発を招いた。ところが、首相は「個人の意見だ」と批判を一蹴し、誰も辞任しなかった。
こうした状況が、米側に安倍首相は「実は親米ではなく、反米ではないのか」(筆者の友人の米共和党員)との疑念さえ生じさせたのは間違いない。

2つめは、安倍首相のそもそもの持論である「戦後レジームからの脱却」が何を目指しているのか、その着地点が見えないことだ。戦後レジームの柱となった憲法が米占領軍の作ったまがい物だとすると、自主的な憲法の全面的改正が必要、という論理となる。
だとすれば、憲法第9条(戦争の放棄)だけでなく、ほかの重要な第11条(基本的人権)や第21条(集会・結社・表現の自由、検閲の禁止、通信の秘密)などをどう扱うのか―。
これらの条項が、戦後の日本再建の支えとなり、世界に例を見ない平和的な繁栄と国民の自由な表現活動を可能にしたのではなかったか。 安倍首相が目指す、「戦後レジームからの脱却」とは、どこに向かうものか。明治憲法を現代風に衣替えした新国家資本主義か、それとも国際的に開かれた新自由主義国家を目指すのか。

ともあれ、戦後レジームから脱皮するためにはこれまでの歴史にけじめをつける必要がある。その歴史認識でかつて植民地化を図った近隣国ともめているなら、政府はその緊張を解く真摯な努力が必要だ。
ところが、政府は昨年12月、憲法違反の疑いのある特定秘密保護法案を、十分な国会論議を経ないまま強行採決してしまった。
憲法改正以前に憲法を骨抜きにする法律を成立させた形だ。国の持つ情報の中から官僚の裁量で「特定秘密」が指定され、国民の目から覆い隠される。言論や報道の自由、基本的人権が脅かされる危険いっぱいの法律だ。
他方で、官僚が不透明な「特定秘密」を量産して解除しない危険も増大する。官僚に情報が握られ、官僚支配が一段と強まる「主権在官」の法律となるのは必至だ。
安倍政権は、高支持率の下、戦後レジームから脱却した先の国の全体像を提示し、国民に説明責任を果たす義務がある。