NAGURICOM [殴り込む]/北沢栄
■Online Journal NAGURICOM
沢栄の「さらばニッポン官僚社会」
第13章 グローバル化の裏側で動き出した「情報支配」
 経済のグローバリゼーションが進展し、弱肉強食性が強まる中で、「国家」という共同体を維持するため、中央集権を強化し、統制力の増大を図る古い国家主義的手法が先進各国の間で復活してきた。「国家の安全」(ナショナル・セキュリティ)を理由に、国家が通信傍受やインターネット規制を通じて国民を一元的に情報管理しようとの動きが目立つ。米NSA(国家安全保障局=National Security Agency)が主導する米英など英語圏五カ国を結ぶ秘密のスパイ・ネットワーク「エシュロン(Echelon)」が、その先端を行っている。他方、問題解決能力を失った日本では、政治の「総与党体制」、金融・経済の「国家管理化」を進めた戦時体制に返るかのような「全体主義型対応」で危機乗り切りを図っている。

経済のボーダレス化と地域共同体の破壊

 90年代半ば以降、世界に吹きまくっているグローバリゼーションには、二つの大きな産物がある。一つは、「経済のボーダレス化」であり、その結果としてもたらされるのが地球的規模での「大競争」である。体制が崩壊した旧ソ連圏と12億の人口を抱える中国が資本主義市場に参入したことと、米国が主導するインターネットを核とした情報技術(IT)革命が、市場の拡大、競争の低価格化とスピード化の面でとりわけ重大なインパクトを引き起こした。
 もう一つは、グローバルな商品、サービス、ライフスタイルが普及することからくる「地域共同体に対する破壊作用」だ。これらの産物は、グローバル化の進展とともに拡大再生産されつつあり、その社会的影響は日増しに広がっている。
 グローバリゼーションもまた、過去のあらゆる急進的な運動と同様、「正の遺産」とともに「負の遺産」を社会の至るところにまき散らす。
「経済のボーダレス化」をとってみよう。マクドナルド・ハンバーガーの例を挙げるまでもなく、関税や非関税障壁が取り払われるにつれ、消費者は「安くて簡便で均質な物・サービス」を大都市の随所で享受できるようになった。
 他方、企業活動もボーダレス化により世界の誰にでもわかる財務内容や製品内容の表示を迫られるから、企業のあいまいだった情報開示は一層透明化を求められる。金融当局による銀行への国際標準に合わせた不良債権額の再評価・公表の義務付けにしても、この三月期から進む企業会計基準の国際標準化にしても、グローバリゼーションの要請が政・官・業に対し「古い殻」からの脱皮を促したからこそ生じたのである。
 これらのグローバル化は、時代遅れになりサビついた日本型経営システムを一掃するのに役立った。いわば、低価格化・簡便化・企業情報の透明化などは、「正の遺産」として、積極的に評価されるべきものだ。
 しかし半面、「負の遺産」も増え続け、この好ましくない遺産は、グローバリゼーションから“取り残された人びと”に分配されていったのである。

「負の遺産」の二つの爪痕

「負の遺産」は、自由市場資本主義の暴虐がもたらすもので、とりわけ人間生活の二つの面に残忍な爪痕を残す。
 一つは、グローバル経済により弱肉強食性がむき出しになり、国際的にも国内的にも貧者と敗者を広汎に生み出すことだ。3年前、ジョージ・ソロスらが率いるヘッジ・ファンドが巨額の通貨投機で東南アジア諸国の国民経済を破綻寸前に追い込んだのは記憶に新しい。ソロスによれば、ヘッジ・ファンドが特定通貨を狙って投機をいったん開始すると、投機を求めるグローバルマネーが相乗りを求めてその10倍ほど集まるという。これは「国民経済」の規模をゆうに上回る資金量で自国通貨が売られる事態ともなるため、国家はグローバルマネーの襲来に自己防衛しなければならなくなる。
 ヘッジ・ファンドの投機マネーほどの衝撃力はないが、グローバルな大競争の結果、途上国の低賃金労働に押された先進国でリストラを余儀なくされる大企業が生み出す失業者の増加は、米英に比べてグローバル経済への対応が遅れたドイツ、フランス、日本などで深刻だ。他方で、インターネットなど情報化されたグローバル化の新時代に適応できない“取り残された人びと”が、一部の富者と対照的に、社会の底辺に沈殿していく「貧富の両極化」が進んできた。こうした弱肉強食性がもたらす「負の遺産」が、国家の安定性を大きく揺さぶりだしたのである。
 もう一つの暴虐の結果は、グローバリズムの理念の核である「市場原理」を崇拝して、自由市場資本主義のハンマーが相乗して自然環境を破壊してしまうことだ。例えば、メキシコのカリフォルニア半島のサン・イグナシオ・ラグーン。ユネスコの「世界遺産」に指定されているコククジラの繁殖地で豊かな漁場である。ここに三菱商事がメキシコ政府と合弁で計画した塩田開発事業がメキシコや米国の環境保護団体から抗議を受け、三菱商品のボイコット運動に発展したのも、グローバルな企業が巨額のマネーで自然を破壊してしまうのは許せない、という怒りがNGO(非政府組織)の間に広がったためである。

国家の自衛強化/日本は全体主義型対応に回帰

 このように、グローバリゼーションの破壊作用が国家の土台を揺るがすにつれ、その第二ラウンドとして「国家の自衛強化」が始まった。といっても、米英のような自国の標準を事実上のグローバル・スタンダードに押しつけるような力のある先導国の場合と、日独仏のように受け身に回る国との立場は大きく異なる。
 米国の場合、ルービン前財務長官がヘッジファンド規制に終始消極的だったように、グローバリゼーションの最大の受益者としてその規制は最小限にとどめつつ、弊害を国家の安全保障的な見地から抑制しようという姿勢をとる。「自由に泳がせておいてコントロールする」手法である。
 IT革命に対しても同様に対応する。グローバル・インターネット型経済発展に支障を来たしかねないハッカーへの対策を名目に情報予算を盛り込み、「国家の安全」のためとして、その実「エシュロン」を使った国民監視を強化するという旧ソ連型のスパイ・警察国家を思わせる「情報コントロール」を試みる。オルダス・ハックスリーの『素晴らしき新世界』の現実版である。クリントン米大統領はことし初め、サイバーテロ防止のためハッカー侵入監視モニターを全米のコンピューター・システムに設置しようと、9800万ドルの「ハッカー対策予算」を米議会に要請して話題を呼んだ。「エシュロン」のパートナーである英国では、既にピカデリーサーカスのようなロンドンの目抜き通りで通行人の挙動を監視するモニター装置が日夜、公然と作動している。
 この米英の政府にみられるのは、情報コントロールによって国民を制御しつつ、グローバリゼーションを推進していこうという魂胆である。昨年、欧州議会が「エシュロン」の実態を暴いたキャンベル報告を受けて、米英のスパイ活動を糾弾したのも、「通信傍受による産業スパイ・早期工作」という米英の国家戦略を知って衝撃を受けたためだ。
 ところが、先進工業国の中で日本政府だけが「エシュロン」を使った米国の産業スパイに抗議することもなく沈黙している。対外的にはこうした卑屈な態度をとりながら、内向きには政治の総与党化を図りつつ、通信傍受法や改正住民基本台帳法の成立にみられるように、国民の情報管理の一元化に向けて突き進んでいるのである。


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