■Online Journal NAGURICOM
沢栄の「さらばニッポン官僚社会」
<番外篇>アメリカは進化する/初の黒人大統領への道

(2008年3月17日)

  白熱する米大統領選の民主党指名争い。大票田のオハイオ、テキサス両州で敗れたとはいえ、バラク・オバマ上院議員(46)が、ヒラリー・クリントン上院議員(60)を獲得代議員数で依然上回り、優位に立つ。米大統領への最短距離に到達していることは間違いない。
 この背景に、ブッシュ政権が始めたイラク戦争の泥沼化が挙げられよう。米国民はいま、閉塞状況を打開する「Change(変化)」を求めているのだ。オバマ氏は「変化」がアメリカで起こっている、と強調し、この国の立て直しを「Yes, we can(そうだとも、われわれにはできる)」と呼びかける。
  筆者は、オバマ氏の快進撃の秘密を二つの切り口からみる。一つは、オバマ氏個人が持つ類まれなスピーチ力だ。そして二つめが、かつてなかった黒人か女性(ヒラリー)のどちらかを大統領に選択しようという米国民の政治意識の進化ぶりだ。

  オバマ氏が全米に注目されたきっかけは、2004年の民主党全国大会にさかのぼる。その基調演説で、アメリカの持つ独自性「The Audacity of Hope(大胆不敵な希望)」によって、この分裂した国に一体感を持ち込むのだ、と説いたのだ。彼は次のように語った―
「There is not a Black America and a White America and Latino America and Asian America. There’s the United States of America.(黒人のアメリカも、白人のアメリカもない。ラテン系のアメリカもアジア系のアメリカもない。アメリカ合衆国があるだけだ)」
  アメリカ社会の「統合」を訴えた点で、南北戦争当時の米大統領アブラハム・リンカーンを思わせる。聴衆の1人は感動のあまり「おお神様、これは歴史的演説だ!」と語ったと伝えられる。オバマ氏の視野は党派性を超えて広大なのだ。それが、ヒラリー氏とは逆に、イラク開戦決議に反対した孤高の実績と相まって、既成政治に白けた若者を引きつけてやまない。
 オバマ氏が熱狂を呼び込むもう一つの要因は、「受け手側」の進化にある。米国民が肌の色を超えて、最高の大統領を求めるようになったのだ。

  オバマ氏はケニア生まれの黒人の父と米カンザス州出身の北欧系白人の母からハワイに生まれ、インドネシアで育ち、ハワイに帰って少年期を過ごす。のちハーバード大ロースクールを経て、シカゴで弁護士として活躍。そして、35歳でイリノイ州議会議員、2004年に上院議員に当選した。このオバマ氏の出自とキャリアに、米国民はグローバルな「統合の象徴」をみているのかもしれない。
 米国民の政治意識は、たしかに時と共に「開かれてきている」のだ。考えてもみよう。公民権運動とのちにベトナム反戦運動を推進したマーチン・ルーサー・キング牧師(1964年にノーベル平和賞受賞)は、63年8月のワシントン大行進の際、有名な「I have a dream(私には夢がある)」演説を行っている。その内容は「私には夢がある。不正義と抑圧の暑さでうだる砂漠の州、ミシシッピーでさえ、ある日、自由と正義のオアシスに変わることを」
  当時、米南部ではリンカーンの奴隷解放宣言から100年もたつのに、黒人は教育や雇用を制限され、ホテルやモテルの多くから「白人専用」を理由に閉め出されていたのだ。

  しかし、キング氏の暗殺を乗り越えて公民権運動は実を結び、黒人の米社会進出が相次ぐ。新星のように第一線に立ち現れたスターもいた。プロボクサー、カシアス・クレイ氏(のちにムハマド・アリに改名)がその代表格だ。ベトナム戦争の徴兵を拒否して世界ヘビー級タイトルを剥奪されたのち、74年に再び王者に復帰している。90年代後半になると、ゴルフ界にタイガー・ウッズ氏が颯爽とデビューする。
  21世紀に入るや、政界でもホワイトハウス入りが実現する。ブッシュ大統領によってコリン・パウエル氏が2001年に国務長官に抜擢されたのに続き、05年にはパウエル氏の後任に米史上初の黒人女性国務長官となるコンドリーザ・ライス氏が就任する。 「オバマ大統領」を米国民が受け入れる下地が、先人たちによって着々と整えられていたのである。 米国民の政治意識は、キング氏の運動以降、大きく波打って変わってきたのだ。ますますオープンになり、国民はさらなる生活の向上を、世界での存在価値を求め、「Change」しようとしている。

  この不断の価値追求にこそ、アメリカ合衆国の強みがある。米国民は「大胆不敵な希望」に「Yes, we can」と応え、米国史上初の黒人大統領を選ぶ可能性はきわめて高い。