![]() |
■Online Journal NAGURICOM 沢栄の「白昼の死角」 |
第248章 スタグフレーション到来か/日本経済変調(上)
(2025年7月26日)
企業は好調・家計は萎縮
日本経済がスタグフレーション(不況下の物価高)に陥る危険性が一段と高まった。賃金、家計消費など重要経済指標が「名目」では上がっているものの、物価高から「実質」では低迷色を深めているためだ。これに自動車などへのトランプ関税の影響が加わる。
政府・日銀、民間金融研究機関の日本経済分析・展望は、いずれも「先行き成長ペースの鈍化」で一致する。最大の懸念は、高い賃上げ(春闘賃上げ率5.1%)にもかかわらず、物価高から実質賃金は低下を続けることだ。 24年度の実質賃金は前年度比0.5%減り、3年連続で減少した。25年も5月は前年比2.9%減と5カ月連続でマイナス、下げ幅は20カ月ぶりの大きさとなった。名目賃金の伸びが1%に留まったのと賞与の18.7%減が響いた。インフレに追いついていない。
一方、企業収益は3月頃まで好調だった。これを受け24年度GDPは、名目で617兆円と日本経済は初めて600兆円の大台に乗せた。税収も24年度は75.2兆円と過去最高を更新した。企業収益は24年10月―12月期に輸出企業への円安効果も働いた。名目GDPが500兆円に達したのは1991年のこと。600兆円を突破するのに33年も費やした。「失われた30年」と言われるゆえんだ。名目で見ると、日本経済の潮目は明らかに2024年に変わった。
24年は、1月1日の能登半島震災の中、金融マーケットに異変が起こる。1月に始まった新NISAの追い風もあって、安くなった円を売ってドルを買う動きが急速に広がった。日本の個人マネーが若者を中心に大挙して米国の投信購入などに向かう一方、海外の投資家が円安で割安感が出た注目の日本株を大量に購入した。総じて見ると、24年の企業収益の増大とGDPの拡大、日経平均株価が史上最高値の4万円を超えた主因は、歴史的な円安であった。為替は2022年はじめの1ドル=110円台半ばから24年7月の1ドル=161円へ4割も円安が進んだ。
企業業績に支えられ、賃上げや配当・金利増からGDPの54%(24年)を占める個人消費も伸びる。24年12月には実質ベースで2.7%増、25年1―3月期微増と、改善ぶりが鮮明に。コロナ後の経済再建が軌道に乗ったかに見えた(図1)。
(図1)個人消費の推移 (図2)消費者物価上昇率の国際比較 (出典: 内閣府) (出典: 内閣府)
食料品高騰が家計直撃
が、24年秋以降、コメを筆頭に食料品が、大幅に高騰する。食料品物価は25年1月には上昇率8.7%に達し、以後も値上がりが続く。ここに来ての食料品高騰は、22〜23年の10%超に及ぶ急騰のあと収束してきた米欧と対照的だ(図2)。遅れてやって来て付きまとう。消費者物価も5月、生鮮食品を除き、前年同月比3.7%上がり、6カ月連続して3%台となった。特にコメが値上がり、前年の2倍を超えて過去最高値を更新し、家計を直撃した。
家計消費は一層慎重になり、購入量は増えずに実質家計消費は減少した。日本経済は、「企業は好調・家計は萎縮」の構図になった。
食料品全般の高騰は、輸入物価を引き上げた円安が主因だけに根が深い。これが家計を苦しめる。消費支出に占める食費の割合を表すエンゲル係数は、24年に統計を始めた1981年以来最高の28.3%に達している。食の高騰が人々をたちまち困らせる。
コメは農業政策の失敗から生じたとみられ、備蓄米の緊急放出でようやく値下がりに向かう。とはいえ、コメの平均販売価格はなお3000円台半ば(5キロ当たり)近辺の高値圏にあり、消費者の不安は収まらない。
高騰はチョコレート、コーヒー、果実ジュース、菓子類にまで及んだ。肉類も台所を直撃した。輸入物価はこの5年で牛肉1.7倍、豚肉1.4倍も値上がりした。人びとは比較的安い鶏肉を一層買い求めるようになった。
物価は高止まりが続きそうな気配だ。内閣府は5月の景気動向指数から7月、景気の基調判断を景気後退の可能性を示す「悪化」に引き下げた。物価と賃金の好循環の実現は、かなり難しくなってきた。スタグフレーションに陥る恐れが強まった。
トランプ関税が経済危機触発
こうした状況下、今後トランプ関税の影響が現れてくる。日本政府は、米国との関税交渉で交渉期限間際の7月22日、自動車と同部品に対する関税および幅広い品目にかける相互関税を一律25%から15%に引き下げる譲歩をトランプ大統領から引き出した。日本側は対米直接投資最大5500億ドル(約81兆円)と、コメ、自動車などの対米市場開放を約束した、と発表した。市場は予想外の成果とみなし、日経平均株価はたちまち4万円台に急騰、今年の最高値を記録した。
関税負担が軽減されたとはいえ、自動車産業への影響は大きい。自動車の対米輸出は24年、6.0兆円、台数135.4万台。対米輸出の28.3%を占める。自動車部品は1.2兆円、同5.8%。車両用エンジン・同部品は3,762億円、同1.8%。全体として対米輸出の4割近くを占める。米関税政策が修正されなければ、自動車と部品関連企業の受ける打撃は甚大だ。自動車は日本経済の屋台骨を成す輸出額最大の基幹産業である。
日本自動車工業会によると、自動車製造業の製造業出荷額は63兆円近く、日本の全製造業に占める割合は17%に上る(22年)。設備投資額は1.5兆円と主要製造業の2割超(23年)、研究開発費は3.9兆円と同3割を占める(22年)。
自動車輸出額は21.6兆円、自動車関連産業の就業人口は558万人に上る(23年)。雇用規模は、産業中最大で日本の全就業人口6747万人の8.3%を占める。就業者は製造から販売、運送、レンタル、ガソリンステーション、損害保険、駐車場業、部品製造、情報サービスなどに広がる。日本の「産業ブランド」として貿易黒字の約5割を占める一方、広大な裾野産業と地域経済を支える。トランプ関税は日本経済の土台をも脅かす。
自動車産業は他産業への影響力もひと際高い。産業影響力指数(ある産業に対する需要が全産業に与える影響の度合いを示す係数)は、乗用車が鉄鋼を上回ってトップ。他産業の生産を誘発する生産誘発効果も、自動車が各産業中最も高い。自動車産業の規模と技術進化、成長が、他の産業の成長を大いに刺激していることが分かる。
トランプ関税が実施された場合、日本経済はどの程度影響を受けるか。実際の関税は思いがけず半減したものの、なお15%もの高関税が日本経済を冷やすことは必至だ。日本政府は行き過ぎ「米国第1主義」に対し、新たな経済安全保障の視座に立って国内経済活性策と海外市場戦略を早急に講じなければならない。