■Online Journal NAGURICOM
沢栄の「さらばニッポン官僚社会」
第219章 カギはベーシック・インカム/ 「成長」と「財源」の壁をどう乗り越えるか(中)
(2023年4月3日)

コロナで関心急上昇

コロナ・パンデミックとなった2020年、全国民に1人当たり一律10万円の特別定額給付金が支給された。所得制限や年齢制限なく、年金や失業保険受給者、子どもも支給対象となった。全国民に等しく同じ金額が配られたのだ。 これがベーシック・インカム(BI=Basic Income Guarantee)と同様のコンセプトである。ただしベーシック・インカムは災害救援のための一時の緊急措置ではなく、経済政策として、継続的規則的に無条件で全国民に給付する必要最低限の所得保障だ。 このBIを日本経済の再興に向け活用するのである。
「机上の空論ではないのか。財源はどうするのか」。BIに対し決まって起こってくる反論だ。確かに、財源問題は大きく立ちはだかる。

しかし、勢いは止まらない。とりわけここ10年来、世界のそこかしこで、ベーシック・インカム論議や社会実験が盛り上がってきた。コロナ禍で、安全・安心を目指して注目度はさらに高まった。多くの国・地域でこれまでに条件付きか小規模に絞ってその社会実験を行っている。 米国では古くはノースカロライナ、ニュージャージー、アイオワ、アラスカの各州で、2019年にはカリフォルニア州ストックトン市(人口31万人)で実施された。ランダムに選ばれた125人に「月500ドル2年間支給」の実験で、不安やウツ気分の減少、雇用改善などの成果が報告された。
2020年の米大統領選挙では、民主党の予備選に立候補した台湾系のアンドリュー・ヤンが、国の税金を支払わないIT大手に対する課税を財源にBI政策を訴え、若者の支持を集めた。

ブラジルでは、2020年にリオデジャネイロの一部で低所得者向けに現金支給プログラムを実施。欧州では2017年にフィンランドの2年間の実験的施行に続き、イタリアが19年に低所得層向けに、ドイツが1年間の実験を経て20年に受給者120人に月額1200ユーロ(約17万円)の3年間支給を決めた。 アイルランドは22年春、アーティスト2000人に芸術を繁栄させるため3年にわたり1週間当たり325ユーロ(約4万6千円)支給するパイロットプログラムを決めた。韓国では22年3月の大統領選挙で敗れた与党候補がBIを公約に押し出して波紋を投げた。日本では、21年の衆院選挙で日本維新の会がBIを公約に掲げた。

社会実験は増加の一途

ここで重要なメッセージが3つ浮かび上がる。
1つは、全ての国民を対象にした国単位の大がかりな導入例はまだないが、各国自治体での社会実験は増加の一途を辿ることだ。コロナ禍、非正規労働増、所得格差の拡大と新貧困層の広がり、高齢化、性差別問題、深まる将来不安などが背景にある。米国では約40に上る市長がベーシック・インカム導入を目指している、と報じられた。従来の福祉政策と違う「誰もが安心して暮らせる保証所得を」という区別なき普遍的なセーフティネットを求める声が、世界的に広がってきたのだ。

2つ目は、多くのパイロット版の事例からベーシック・インカムのメリットと好影響が浮き彫りされてきたこと。ナミビアでは受給者の勤労意欲が上がり、仕事に一層喜びを見出すようになった。米アラスカでは出生率が著しく増加。ほかでもウェルネス(心身の健康)の向上、幸福感、生活の満足度、子どもの学校の出席率の上昇、社会制度への信頼感の高まり、などが報告された。ポジティブな影響が相次いで表れてきたのだ。この導入拡大の先に将来、豊かな社会が見えてくる可能性が高まる。
3つ目は、デメリットとなる富裕層と高齢層の反対及び財源の壁だ。富裕層、高齢層の多くは、導入すれば税金が増える、怠け者が増える、などと反対する。ベーシック・インカムの導入には、巨額の原資が必要となるが、その財源をどう確保するか。

米ピュー・リサーチ・センター社の世論調査によると20年夏の調査結果から米国民の反対が54%、賛成45%。が、その内容は年令や資産階層などで大きな差があった。年令は20代までは賛成多数、それより上になると反対が増える。黒人、ヒスパニック系に賛成が多く、白人は反対が優勢。高所得層と共和党支持者にも反対が多い。
スイスでは2016年、BI導入の是非を問う国民投票が実施され、世界の注目を集めたが、有権者の8割近くが「反対」を投じて否決された。1人当たり月2500スイスフラン(約30万円)の支給プランに税負担増につながる財源問題が大きな争点となった。しかし、コロナ禍の21年、財源を明確にした新ベーシック・インカム法案を掲げた市民活動が再び始まった。
日本で実現した場合、「年間100兆円規模が必要」(白崎一裕・日本ベーシックインカム学会副理事長)ともされ、財源問題が横たわる。

ニクソン元大統領も賛同

ここでベーシック・インカムを単に「所得の基本保障」という経済的カテゴリーを超え、もっと広い視点からみてみよう。そこには「生きる意味」「労働の価値観」が関わってくる。どういう生き方が人間にとって一番幸福か―という哲学的問いの答えに関係してくるのだ。BI論議は本来、所得をベースにした生き方論議なのである。
ベーシック・インカム支持者は、政治や経済の「右と左」を超えて後を絶たない。半面、反対者も「右にも左にも」数多い。
世界のBI賛同への流れをみると、資本主義の不安定さと格差を生む構造にコロナ禍が加わり「究極のセーフティネット」として期待が一気に高まった。

ここでBI支持者のうち、とりわけ重要と思われる英国の哲学者、バートランド・ラッセル、リチャード・ニクソン米元大統領、米経済学者、ミルトン・フリードマンの見解、提案のコンセプトを指摘しておこう。
ラッセルの注目点は、その労働観にある。著書『In Praise of Idleness(怠惰讃歌)』で次のように言う―「近代社会の大いなる害悪は(既成)労働を善行とみなす信念がもたらした。幸福と繁栄への道は労働の組織的な減少にある」
ラッセルによれば、奴隷の労働ではなくヒマを持つ怠惰から創造的な価値と本人の幸福が生まれる。組織化され、効率化した近代労働が人間の創造性と自由を奪うと主張した。

ニクソン元大統領は、保守系トップの典型とみられている。だが、彼はマルチン・ルッサー・キング師(BIに賛同)らの公民権運動を背景に、ベーシック・インカムの考えを採り入れ、1969年に貧困者向けに「Family Assistance Plan」を提案、法案は下院を通過したが、上院で否決された(写真)。
フリードマンは、貧困救済のため1962年に著書『Capitalism and Freedom(資本主義と自由)』でベーシック・インカムにつながる「負の所得税」を提唱した。救済への考えは、特定の職業、年齢層、賃金層、労働団体、産業に所属する人を助けるのではなく「貧しいから助けるのだ」とした。負の所得税とは、所得税を納められない一定基準以下の貧困層に対して、逆に国の補助金を相応に支給する、というものだ。
「左」から嫌われたノーベル経済学賞受賞の保守系学者だが、「負の所得税」案は実現可能性において示唆に富む。

法案に関し議会で演説するニクソン大統領