■Online Journal NAGURICOM
沢栄の「さらばニッポン官僚社会」
第201章(改定版) ワクチン政策の大失敗/非常時モードに切り替えよ
(2021年8月26日)

コロナパンデミックは時代遅れとなった行政の対応をあぶりだし、非常事態への適応不能をあらわにした。折しも2050年に世界の温暖化ガス排出量を実質ゼロにする脱炭素化と、国連の国際開発目標SDGsを追求する潮流が、国際社会に押し寄せた。この地球規模の新時代は、どんな途方もない変化を我々の経済・生活にもたらすのか―。その大変化の衝撃度とニッポンの課題を探った。

ワクチン接種で大きく立ち遅れ

コロナ禍は、それまで見えにくかった日本の問題を一挙に「見える化」した。たとえば、非正規労働者やフリーランスに失職や収入急減のケースが増え、社会的立場の強弱を一段と浮き彫りにした(図1)。半面、富裕層ほど所得・資産を増やし、貧富の格差がさらに拡大した、などだ。コロナの下、富む者はますます富み、貧者はますます窮したのである。
格差の拡大は、国際的にも顕著になった。典型例が、コロナワクチン接種のスピードの差だ。国民の命を1人でも多く救うかどうかが懸かるワクチン接種は、何より各国政府の力量が試される。このワクチン調達・接種普及の国際バトルで、日本の立ち遅れは鮮明となった。そしてその後も、行政の失敗が繰り返される。

(図1) 就業形態への新型コロナの影響

出所)労働政策研究・研修機構



英国で6月中旬に開かれたG7サミット。その主要7カ国と英国から特別招待されて加わった3カ国(インド、オーストラリア、韓国)の計10カ国中、日本のワクチン接種率はこの時点で最下位を付ける。いやサミット参加国ばかりか、OECD(経済協力開発機構)加盟38カ国中でも最下位と大きく出遅れた。
政府の最大の務めは、国民の生命と財産を守ることだ。しかし、ワクチン接種の遅れと感染力の強いインド型変異ウイルス「デルタ株」の出現で、東京五輪直前には国民の不安感は深まり、世論は開催の是非を巡って二つに分断した。開催となれば、人出の急増から感染の急拡大は確実、と多くの国民が心底から心配したのである。実際、心配は現実になった。ワクチン接種が数カ月早ければ、国民の不安はこれほどまでにならなかったろう。

接種遅れの実態は深刻だった。行政手続きは手抜かりだらけで、混乱が広がった。「こんな国とは思わなかった」との声も多く聞かれた。
未曽有のパンデミック災禍への対応は、本来国の仕事である。しかもオリンピック・パラリンピック開催国として開催前に収束させておく責任があった。
しかし、日本は当初、ワクチン接種の実行を自治体の市区町村に任せきりだった。自治体の中には、予約制をとらずに住民票を基に対象者を区分し、接種日時を指定して集団接種した福島県相馬市のような成功例もあった。相馬市民は、競争して予約する必要がないため、安心して接種に臨んだ。このような接種手続きを、政府は先頭に立って案出し、先着順でない抽選式の形などを決めて、自治体に適用を求めるべきだったのだ。

世界最速で国民へのワクチン接種の国家目標(21年3月末までに全人口の55%、500万人の国民への接種)を計画通り政府主導で達成したイスラエルが見事なお手本だ。ネタニヤフ首相(当時)自ら強いリーダーシップを発揮してワクチンを調達し、国防軍を使って昨年12月には国民への接種を開始した。
英国も、感染急拡大の失敗を踏まえ、第2次大戦時のスローガン「落ち着いて、先へ進め(Keep Calm and Carry On)」を掲げ、昨年12月から国を挙げて接種キャンペーンを展開した。9月までに希望する全ての成人が2度の接種を終える見通しだ。感染収束後、イスラエル、英国ともインド型変異ウイルスによる感染再拡大に見舞われたが、ワクチンのお陰で重症化・死者は激減している。
米国ではコロナ対応を州政府に任せたトランプ政権に対し、バイデン政権は接種に積極関与に転じた。8月2日時点で成人の70%が少なくとも第1次接種を終えたと公表した。「7月4日の米独立記念日までに達成」との政府目標から約1カ月遅れで目標を達成した。
これら接種先行国に共通した成功要因が、国家リーダーの強いリーダーシップと国の積極関与だ。日本は自衛隊の出動でようやく大規模接種が進みだし、職域接種も始まって接種は軌道に乗ったかに見えた。が、6月末になると一転、政府からブレーキがかかる。政府は、米モデルナ製を使う職場・大学および米ファイザー製を使う自治体の接種を急ぐよう、さんざんせかした挙げ句、供給量不足を理由に突然供給を停止した。政府はワクチンの需給さえコントロールしていなかったのだ。

政府の連続不手際と経済危機

政府のコロナ対応のふらつきは、誰の目にも明らかだった。PCR検査の不徹底に始まり、生活支援金1人10万円の支給遅延、根拠不確かで協力頼みの自粛規制、先行きが不透明な中での「Go Toキャンペーン」、医療現場のたび重なる崩壊の危機―など行き当たりバッタリの対応で、国民を当惑させた。ワクチン接種の遅れは、その延長線上にあった。
ワクチン接種の普及が、自衛隊が加わってようやくスピード化したのも、自衛隊の本分は有事対応にあり、手際がいいからである。肝心の政府は、東京五輪を控えているのにパンデミックへの危機意識が弱く、非常事態の自覚に欠けた。平時モードを有事モードに切り替えられず、対応をもたつかせた。

いい例が、ウイルス予防と対策の最前線に立つ保健所である。パンデミックで超多忙となり、「電話がつながらない」「PCR検査ができない」「機能不全」などと非難の声が一斉に上がったが、保健所の機能を落としたのは政府自らが行った保健所統廃合政策によってだ。行政コスト削減の一辺倒で、ウイルスパンデミックのような非常事態は想定外だった。1993年当時全国に848あった保健所の数は2021年には半数近い470に激減している(図2)。そこに襲来したパンデミック。緊急事態対応に保健所の人員が足りないことは自明だったが、厚生労働省は長い間非常時に備えなかったから、対応に窮したのも必然であった。

接種遅れに加え、市民の不安をつのらせたのが、自治体任せにした接種券所有者への先着順の接種予約法だ。これも想像力を欠いた手法だった。「先着順」だと、申請者が殺到して電話やネットがたちまちつながらなくなる。そこから引き起こされる市民の時間の空費、社会活動の停滞、焦りと不安、行政窓口の混乱も予想できなかった。
他方、高齢者優先から64歳以下は接種券が届かないため、接種会場に空きが生じても受けられない者が当然続出した。法律を非常時対応に改め、ニューヨーク式に接種券がなくても身分証明書さえあれば、誰でも薬局などでも接種が受けられるように手を打つべきだった。英国では訓練を受けたボランティアが接種注射に参加している。

(図2) 保健所数の推移

(写真) ECMO(体外式膜型人工肺)を使った重症者のコロナ治療現場

出所)全国保健所長会

出所)京都府立医科大学・附属病院



政府のコロナ禍への一連の対応の遅滞と失敗は、医療現場を崩壊の危機に陥れた(写真)ばかりか、日本経済にも濃い影を落とした。
コロナの感染拡大で、政府・自治体の外出・接触制限の矢面に立たされた外食、観光、宿泊、鉄道、航空、文化事業者などが、経済困窮に追い込まれたのは周知の通りだ。
内閣府が発表した1〜3月の実質国内総生産(GDP)成長率はマイナス1%、年率換算でマイナス3.9%。日本経済が回復軌道に乗るのはようやく7〜9月期以降になる、と多くのエコノミストは見たが、デルタ株の感染急拡大でそれも怪しくなった。
米国のGDPは1〜3月期に年率で6.4%、4〜6月期に6.5%成長し、早くもコロナ感染前と同程度に回復した。欧州は1〜3月のGDPはマイナス成長だったが、4〜6月期は一転、年8.3%の成長に急回復した。国際通貨基金(IMF)の7月の世界経済見通し改訂版によると、日本の2021年の成長は2.8%、22年3.0%なのに対し米国は21年が7.0%、22年4.9%。ユーロ圏が21年に4.6%、22年に4.3%、英国が21年7.0%、22年4.8%成長と、勢いに差が出る。経済回復面でも、日本の立ち遅れが鮮明だ。この日米欧の格差は、日本政府の危機管理の無能さと、そこから生じたワクチン接種の遅れに由来する。

ワクチン遅れの3大要因

コロナがあぶり出した現代ニッポンの脆弱性。それをもたらした政府の統治問題をワクチン接種遅れに則して、もう一段掘り下げてみよう。 遅れの原因の根っこにあるのが、菅政権のパンデミックへの「危機意識の低さ」だ。 欧米リーダーとの危機意識の分かれ目は、感染が拡大し始めた昨年春にあった。日本の防疫体制は、じつに国民の「忍耐深い自己抑制」に依存していた。日本は欧米の感染爆発に対し、国民の自制によって、感染拡大ペースを緩らげることができたのだ。国民のほぼ全てが外出時に我慢強くマスクを着用したのに、欧米では感染拡大のさなか、人出の盛んな街頭でもマスクなしで行き来していた光景が思い浮かぶ。

菅首相は就任早々、国が果たすべき役割の「公助」を個人の「自助」、仲間内や会社などによる「共助」の次に位置付ける旨表明した。「自助」、「共助」でやってもらい、なお解決困難な問題を「公助」で取り組む―つまり自助・自己責任を最優先し、国の関与はなるべく控えるという趣旨だ。この新自由主義的な政治姿勢が、パンデミックへの政府の対応を消極的にし、民間の自助努力に頼む傾向をもたらしたのは当然だった。
その上、第1次感染拡大時の2020年春の、欧米に比べて日本の感染抑止の相対的な成功が、政府に慢心を生じさせ、パンデミック危機を甘く扱ってしまったことは疑いない。

次いで手続き上の手抜かりが、大きく3つ続いた。その1つが、ワクチンの国産化の遅れだ。なぜ国産ワクチンが出てこないのか、欧米とインド、中国、ロシアなどによるワクチン開発公表に対し、日本産はなぜ名乗りを上げなかったのか。
答えは、国が子宮頸がんのワクチン副反応問題などもあって、ワクチン研究開発・治験への公的補助に消極的になり、企業努力に水を差したせいだ。ウイルス感染で若い女性に起こる子宮頸がんの予防ワクチンでは、厚労省は2013年に定期接種を決めたわずか2カ月後に「積極的に勧めない」方針を表明している。「まれに重い副反応」(同省)が問題化したためで、これが少なからず尾を引いた。
米国では、新型コロナ発生以前に米ワクチン研究センター(VRC)と米企業が、ウイルス予防ワクチンの共同研究開発に入っている。2010年に設立の新興バイオベンチャーのモデルナも、早くからこの政府計画に加わった。
ワクチン予算に対し日本では昨年春の段階で100億円規模。その後の補正予算で補助金を増やし、3000億円規模に。一方、米国ではトランプ政権時の昨年5月、「ワープ・スピード作戦」と名付けるワクチン開発・接種作戦を開始、100億ドル(約1兆1000億円)と日本の3倍超の予算を付け、2021年1月までに実用化の目標を掲げた。作戦は順調に進み、昨年12月には接種を開始した。一方、日本政府はワクチン接種目標を早期に表明せずに先送りし、模様眺めしたのだ。

2つめが、ファイザーなど海外ワクチンメーカーとの調達交渉で「基本合意」に甘んじて詰めを怠り、供給数量、時期を決める契約に踏み込まなかったこと。ビッグビジネスでは何事も基本合意に始まり、話を詰めて契約に至るのが常識だ。このふつうの手続きを政府は怠った。
世界最速で接種が進んだイスラエルは、ネタニヤフ首相(当時)自らが米国でファイザー社のCEO(最高経営者)に直接談判して供給の契約を取り付け、接種は早くも昨年12月に始まった。双方ともユダヤ人同士で意気も合った。この間、日本は厚労省幹部がファイザー日本支社とのみ折衝し、契約を徒らに遅らせた。
3つめが、ワクチン承認の遅れだ。ファイザーが治験データを揃え、昨年12月にワクチンの特別申請を求めたのに、政府は「日本人の治験が必要」と承認を2カ月遅らせた。現行法(医薬品医療機器法)に従ったわけだが、これが欧米にあるような非常時の特別規定(未承認ワクチン・治療薬の一時的使用)を欠いていた。政府は有事の特別措置を盛り込んだ法改正を、遅ればせながら、ようやく来年の通常国会に提出する予定という。

コロナ禍を教訓に、政府はたび重なった失敗を反省する必要がある。その際、従来の「その都度対応」から決別し、有事対応力を身につけなければ、国民の命は守れない。現役世代向けワクチン接種の拡大と、今後も再来するウイルスパンデミックに備える「有事体制の構築」は、もはや待ったなしだ。その有事向け新システムは、司令塔と執行主体を明確にし、平時対応が標準の現行規制・法令の改正、縦型行政機能を横型統合に改変、が肝(きも)となる。これが、コロナ禍が日本社会に突き付けた最大級の変革要因になるだろう。