■Online Journal NAGURICOM
沢栄の「さらばニッポン官僚社会」
第192章 コロナで現れた病巣/補償なき休業要請

(2020年10月29日)

菅義偉・新首相が就任早々に語った国家像にいささか不安を覚えた。コロナ禍で行政権限が強化される一方、草の根から自粛警察が現れたが、この政と民の方向性が強まる気配を感じたからだ。行政権が安倍前政権以上に強大化し、民の権力に同調する傾向が深まるなら、菅政権下の日本の「ニューノーマル(新生活様式)」は全体主義がかった息苦しいものになる。

菅首相は「目指す社会像は自助、共助、公助、そして絆だ」と総裁選で用いたフレーズを再び強調した。だが、その中身については「まず自分でやり、地域や家族が助け合う。その上で政府が守る」と述べ、個人の自己責任を前面に押し出した。自助、共助でできないところ、弱いところを政府が手助けする、という新自由主義の発想だ。
国民の生活を維持し、よくするには、公助が欠かせない。個人や企業、団体ではできない社会・経済生活の領域は政治・制度の公助に頼るほかない。社会保障や大災害の対応、疫病の予防対策が真っ先に思い浮かぶが、むろん新型コロナウイルス対策も公助によってしか全面的な対策は打てない。公助は自助、共助とはそれ自体、別の機能を持つ「公の助け」なのである。
これを自助、共助の後ろに受動的な「守り」の表現で据えるのは、責任回避しているように響く。政府のトップとして、公助の独自の重要性を語り、自らが考える公助のプログラムを表明すべきではなかったか。

“自粛警察”が出現

一方、自己責任論が広がると、世の中は政治の責任は棚上げされやすくなり、気に入らない個人への過度な攻撃やいじめとなって表れやすい。安倍前政権の緊急事態宣言では、外出や集まりを法の強制によってではなく、「自粛」を求めることで感染抑止を図った。自粛ムードが高まる中、経済損失に耐えられずに営業を継続した零細飲食店などに対し“自粛警察”が横行した。 市民の一部が店にいやがらせや脅しをかけ、休業させようと圧力をかけるケースが頻発する。「あなたの行動はおかしい」と、政府の指示に背いた悪漢を正すつもりで、威力業務妨害的な行動に出たのだ。
政府の自粛要請と歩調を合わせ、マスメディアの一部も自粛抵抗者の“懲らしめ”に走った。ネットには非国民呼ばわりも散乱した。情動的な全体主義のムードが広がったのだ。
ここで問題が表面化した。行政が事業者に対し、自粛の形で補償なき休業を要請するのは果たして正当か。事実上の強制なのだから、休業補償しないのはおかしいのではないか。公益性の観点からの私権の強制的な制限は、法的補償なしに行っていいのか―と。

コロナ対策で、行政が事業者に休業を「自粛」の形で補償なき要請をするのは適切か―その可否をパチンコ業界に起こった実際の状況から問い直してみよう。
4月の緊急事態宣言に伴い、休業要請を受けたパチンコ業界は、休業解除後も客足が戻らず、経営難から休廃業や閉店が続いた。一部のメディアは要請に応じなかったパチンコホールをバッシングしたが、それによるイメージダウンも尾を引いて苦境は収まらない。
4月から5月にかけ都道府県の要請に応じたパチンコホールの休業率は、テレビ報道では低い印象を受けたが、実際は意外なほど高かった。パチンコ・スロット情報サイト「でちゃう!PLUS」の調べでは、パチンコホールの休業率は最大で98.7%にも上った。
その中で営業を続けたパチンコ店は、補償のない休業要請に、「休めば店が持たない、廃業しかない」との思いから、背に腹は代えられずやむなく営業を続けた、と関係者はいう。

やむなく閉店

4月の臨時休業からついに再開することなく、約10年間続けた営業を終えたパチンコ店がある。アリーナグループが経営するさいたま市の「アリーナ丸ケ崎店」(写真)。埼玉県遊技業協同組合理事長でもある趙顕洙社長によると、パチンコ店の経営を今後も続けていくことへの苦労の重みと不安が閉店を決断させたという。
趙社長の話では、アリーナグループが運営する10店舗は休業を4月13日から5月25日まで約1カ月半行った。その間、収入が途絶えるため、社員に給与約10%カットをのんでもらい、地代や家賃もできる限り減免や繰り延べをしてもらった。1人1日当たり上限1万5000円の雇用調整助成金も申請した。
他方で、融資を受けようと金融機関を奔走したが、回答はことごとく「ノー」だった。「融資を受けていた資金の返済の繰り延べくらいしか応じてくれなかった」と明かす。ゴールデンウイーク明けに営業再開に踏み切った中小のパチンコ店も、同様な事情があったのだろう、と同情する。

「政策金融公庫や商工中金などパチンコ店と取引のない金融機関への説明は大変だった」ともいう。審査の書類に必要だとして「営業許可証」の提出まで求められた。審査に途方もない時間がかかり、融資の実行が遅れた。結局、融資は実現したものの、商工中金の融資に至っては4カ月後の8月末になってようやく実行された。
金融機関とのやり取りで気になったのは、「依存症対策」や「反社会性対策」についての質疑だ。依存症問題については、本人や家族からの「何とかしたい」との訴えがあれば、業界として用意した解決プログラムで対応する、と答えている。「世間一般からマイナスイメージを持たれ、世の中では認知されていない」と思い知らされた。
一部メディアによる連日のバッシング報道に、自分たちの立場を伝えられずに押しまくられた無念の思いもある。「今後は法にのっとって真っ当な営業をしているということを業界として堂々と発信しなければ」と語る。

(写真) 閉店に追い込まれたアリーナ丸ケ崎店
出所)チョー!社長のともいきブログ


閉店するアリーナ丸ケ崎店にやってきた常連客から「閉めるんだって。残念だね」「もっと頑張ってほしかった」「10年間ありがとう」と惜しむ声が広がった。
しかし、感染の懸念が叫ばれる中、業界によれば、パチンコホールからのクラスターの発生は本稿執筆時点で確認されていない。
パチンコ業界専門誌「PiDER」によると、ホール最大手の「マルハン」は、緊急事態宣言を受け、休業要請を出さなかった高知県などを除き、全国316店中312店を休業した。「社会の公器としてやむなしと判断した」という。この間、月約200億円の営業損失が出た模様だ。

帝国データバンクの調べでは、今年上半期(1〜6月)のパチンコホール業者の倒産件数は昨年1年間の半分の12件に上る。しかし、休廃業や閉店の数は休業解除後、急増に転じた。コロナ禍の長期化で業界の苦境は一層深まる、と見られている。
コロナの感染拡大が続く中、小池百合子・東京都知事は9月1日、23区内の酒類を提供する飲食店・カラオケ店に対し営業時間短縮に協力するよう要請(同月15日解除)。応じれば一事業者当たり一律20万円の協力金を支給する、とした。しかし、多くの業者は応じれば収入の激減は避けられず、一時の協力金を得ても店は立ち行かない、と店じまいし、休廃業が続出した。
特定の業界を名指しして休業を要請するような場合、現行のコロナ特措法を改正して危機対応の明確な法的根拠に基づく休業補償すべきだとする世論の批判は根強い。

コロナの本質は「分離・分断」

見えてきたもう一つの問題は、格差と分断の拡大だ。コロナ禍の本質は、人と人とを分け隔てる「分離・分断」である。分離・分断して社会関係を壊すことで、世界の経済活動を全面停止状態に追いやった。経済の立ち往生で、雇用が不安定な非正規労働者や個人事業主は真っ先に仕事を失った。
非正規労働者を例にとると、コロナの影響を理由に休業を命じられたのに休業補償が全く支払われない非正規は33.4%と正規の14.8%の倍以上に上った(労働政策研究・研修機構調べ)。働く日数や時間が減った人の割合も非正規が30%で、正規の17.6%の倍近い。解雇や雇い止めは5月25日以降4カ月近くで、全体の約4万2900人のうち非正規は約2万5300人と6割を占めた。
8月、正規の雇用者数は増えた半面、非正規の雇用者は6カ月連続で前年を下回った。
結果、正社員との非合理な待遇格差の是正を図った働き方改革にもかかわらず、コロナが感染拡大する中、雇用面の格差は逆に拡大した。製造業や農業を中心に昨年秋には過去最多の約166万人に上った外国人労働者も、クビ切りの不安におびえる。

格差の拡大は正規と非正規間に限らない。コロナの影響で格差は全ての国籍を越え、世界的に人種間、職業間、ジェンダー間、地域間、国家間に拡大した。世界銀行によると、コロナ拡大で東アジア・太平洋地域の中国を除く新興国の貧困層が、2020年に過去20年間で初めて増加する見通しだ。格差の中身は所得、資産ばかりか教育や雇用、職業的機会、知識・スキルに広がる。
コロナ禍がもたらした生命の不安は巣ごもる中、それまで依拠していた経済・社会システムの無力さを知ってますます深まった。人は不安から苛立ち、不寛容になり、理解力を失い、偏見と差別が、社会の殻を破って噴き出した。コロナは社会の抱えていた病巣や、頼りにしていた行政の無能ぶりをさらけ出したのだ。

ソーシャルディスタンスの失策

コロナの負の衝撃のうち最大級は、人間同士の接触を遠ざける「ソーシャルディスタンス」であろう。その目指す「新しい生活様式」は、「人との接触制限」だ。ソーシャルディスタンスを保ち、「濃厚接触」は、避けなければならない、とされた(図表1)。厚生労働省は、くしゃみやせきで飛沫が2〜3メートル先まで飛ぶことから、行政は相手との距離を2メートル程度とするよう勧めた(図表2)。

(図表1)「新しい生活様式」の実践例
出所)厚生労働省ウェブサイト
(図表2)ソーシャルディスタンス
出所)東京都ウェブサイト


問題は、政府はコロナの感染抑止策として「濃厚接触回避」を打ち出したはずだが、「コロナの期間に限定」と明示しなかったことだ。本来は時限措置なのに、国民の多くは濃厚接触をこの先ずっと避けなければならないかのように、政府から刷り込まれてしまった。
これを決めたのは政府の専門家会議だが、委員は全て医療系の専門家たち。その情報を連日連夜、テレビ局が報じ、同じ顔ぶれの医療系解説者がコメントする。この繰り返しにより、人々の頭には「濃厚接触は悪い行い」と深く刻まれてしまった。コロナ感染が収まった後も、その影響が尾を引くのは必至だ。
人々の濃厚接触の回避が習慣化すると、人と人を遠ざけることで社会関係を希薄化し、いびつにしてしまうのは避けられない。とくに今後、子どもたちの人間形成に与える影響は重大だ。濃厚接触なしに、そもそも親と子はつながらない。
恋や友情も育ちにくくなる。ソーシャルディスタンスの習慣で「1人ぽっち」が普及する。それもマスク姿とあれば、すっかり没個性になって恋愛と友愛の機会を一層遠ざける。

北村邦夫・日本家族計画協会理事長は、新型コロナ感染と「性」について次のように語る。「特定の相手との関係ならば、キスもスキンシップもセックスもやめる理由はありません。新しい相手とのセックスは、いまはやめておいた方がいいでしょう」
若者が新しい出会いとセックスに慎重に、消極的になるのは、自然な流れだ。
若者は、濃厚接触はよくないと、ハグやキスどころか、友人やチーム仲間との握手やハイタッチさえ避け、せいぜいグータッチをするくらいに抑える。ソーシャルディスタンスが長引くと、この種の親愛や喜びを分かち合う社交的な作法はいずれ廃れていくだろう。
その意味で、コロナウイルスは人と人とを分離、分断する悪魔の働きをする。外出制限、集合制限、自宅勤務、ソーシャルディスタンス―そのいずれもが人を檻に閉じ込め、コロナ前だったらふつうに会えたり、行ったり、見たりできる人や場所からの別離を強いるのである。
その結果は、生きた現実との接触喪失である。ここにコロナの本性がむき出しになる。経済・文化・生活に及ぼす空前の「文明破壊力」と言ってよい。

飲食店や旅行・宿泊、航空業者らの売上激減をはじめ経済全体に及ぶ消費の大失墜。加えて自宅で巣ごもる禁足生活、親しい友や恋人、疲れを癒してくれるコンサートや美術館、映画館、気を引き立ててくれるスポーツやカフェ、パブ―これら生きがいだった生活からの突然の別離に、全ての人が見舞われたのである。