■Online Journal NAGURICOM
沢栄の「さらばニッポン官僚社会」
第135章(差し替え版)
消費税の罠/消費増税の先決条件は名目成長の確保とデフレ脱却

(2010年8月2日)

民主党にとって7月は、残酷な月となった。ついひと月前に発足した当初、菅直人・民主党新政権への支持率は6割以上に達したため、7月11日の参院選は「民主党の楽勝間違いなし」と思われた。 しかし、菅首相の不用意な「消費税10%発言」が一挙に、優勢局面を暗転させてしまった。覆水盆に返らず。今回は、歴代首相の鬼門となった消費税引き上げの恐るべき罠について検証してみよう。

選挙直前になぜ消費税?

それにしてもあまりに唐突だった。消費税引き上げはまだ方向性の段階であり、具体的に何も決まっていたわけではない。本来なら、その方向性をどこまで選挙戦で公式表明するか、という話だったはずだ。ところが、新政権発足直後の国民の高支持率に慢心してしまったのだろう。
世論調査の結果をみても、国民の大半は将来の消費増税にどちらかといえば、賛成している。2010年度予算では、税収を借金(国債発行)が大幅に上回った。半面、年金や医療保険料給付は年々膨れ上がる。常識的にみて、近い将来消費税引き上げは避けられそうにない、とみられているのだ。
ただし増税は、国民の負担増につながるから、実施するとしても、前提条件がある。それは、増税前に納得のいく歳費のムダ遣いカット、さらに議員を含む国家公務員がまず自ら身を切るなど、人件費をはじめとする行政コストを大幅に削減することである。

ところが、菅首相はこの前提条件を棚上げにしたまま、消費増税の必要を、ギリシャ悲劇(財政破綻)を引き合いに、出し抜けに訴えてしまったのだ。寺田学・首相補佐官によると、選挙前に消費税問題について菅首相は「正直に議論することが必要だ」と語ったという(Kyodo Weekly 7月12日号)。
同誌によると、寺田氏は、その内幕をこう明かした。
「この発言をする直前、首相がポケットから小さなメモを取り出し、青ペンで書かれた文章を読んだことがある。『記者会見でこう発言したい。どう思うか』と聞かれた。私は『ずいぶん踏み込みますね』と答えた。首相は『正直な議論がしたい。逃げていると思われたくないんだ』と」
この通りなら、菅氏は相当な政治オンチ、と言うほかない。補佐官も「そんな発言をこの時期にすれば、選挙にはっきりマイナスの影響が出ますよ」と忠告すべきであった。

おそば屋さんの危機感

結局、リスクに対して鈍感に過ぎた。鳩山由紀夫首相と同様に、事前にしっかりと調べて準備せずに、口を滑らせてしまったのだ。首相としての責任意識の軽さが、うかがわれる。
本来なら「9カ月前に国民に期待させたことを菅政権ならしっかりやってくれるんだろうな」と願う国民に、「やり残しを全力でやる」とまず、答えるべきであった。それなのに、いきなり国民の負担増、5%もの消費増税に言及したものだから、有権者は「話が違う」と考え直したのである。

筆者自身、この有権者意識の劇的変化を思いがけず選挙日当日に、知ることとなる。投票後、近くのおそば屋さんに入ったところ、経営者夫妻と選挙談義になった。2人とも少し前まで民主党にもう一度チャンスを与えようと、心に決めていたという。ところが消費税10%発言が飛び出した。驚いた夫妻は、投票先を急きょ、他党に切り替えた。
「今は(景気が)大変厳しい状況。わたしらは増税になればやっていけなくなる」「(首相には)天下り問題など、もっとやってもらいたいことがある」と、落胆を隠せない。
1997年当時の“お店の危機”が夫妻の脳裏によみがえったのだ。
その年、消費税が引き上げられ、日本列島は戦後未曾有の金融破綻と銀行の貸し渋り、消費不況に見舞われる。

公約軽視のツケ

菅首相はやるべき政策の手順を間違えた。消費増税の前にやるべきことは、政権交代時に公約した「一般会計と特別会計を合わせた国の総予算207兆円の全面見直し」によるムダの排除と財源確保である。そのためには、一般会計の資金量の実質5倍に上る特別会計のムダを徹頭徹尾、洗い出し、その埋蔵金を掘り出さなければならない。
行政刷新会議では、すでに事業仕分け第3弾として10月に特別会計(特会)を取り上げることを決めている。民主党政権は順序として、この仕分けを1回目に持ってきて、官製事業の「金庫」となっている特会にいち早く切り込むべきであった。
国民から喝采を浴びた事業仕分けで、特会に眠る埋蔵金をすべて発掘して一般財源と国債償還向けに活用する、と宣言すべきだったのだ。
その際、これまで2回にわたった事業仕分けの個別成果を総括して、省庁横断型に“横串”して広げ、財源を広く確保することも明言すべきであった。「事業仕分けを政治ショーで終わらせるようなことはしません。その成果を国民に見えるように、しっかり還元します」と言えば、国民は再び喝采で応えたはずだ。
次に首相は、マニフェストに謳った「国家公務員の総人件費2割減」の実行プログラムに言及すべきだった。人件費削減どころか、労働基本権を与えられて労使交渉で公務員の給与が決まるようになれば、“役人天国”になるのではないか、との批判も出ているのである。

菅首相は、率先垂範、まず自分たち国会議員から始める方針を掲げ、公務員の定員減と給与水準の引き下げを同時に行う、と約束すべきだったのだ。
菅首相はこうした前提条件を一切語らずに、消費税10%を押し出した。これが決定的敗因となった。反応の厳しさに焦った首相が、税金の低所得者向け還付方式で発言を二転、三転させたことも響いた。「自民党の方がまだまし」とばかりに、選挙の最終局面で消費税10%を公約した自民党にも予想外の票が流れてしまったのだ。

デフレを誘発した消費増税

しかし仮に、以上の政治的前提条件が満たされたとして、消費増税を行う政策は現状のデフレ経済下(図表1)で賢明だろうか。
橋本龍太郎政権は97年4月に消費税を3%から5%へ引き上げている。当時、それがどう影響したか、経済動向を再現してみよう。
金融ビッグバンを翌年に控えた金融業界を津波が襲う。97年11月に三洋証券、北海道拓殖銀行、山一証券、徳陽シティ銀行と金融破綻が相次いだ。銀行が一斉に貸し渋り・貸し剥がしに走り、中堅ゼネコンに続き名門の老舗食品商社、東食が12月に破綻する。
東食は本業の食品販売では営業黒字だったが、子会社の財テク失敗が表面化。メーンバンクのあさひ銀行が全面支援を表明したが、地方銀行などが一斉に融資から手を引いて万事休した。翌98年度上半期には企業倒産による負債額は過去最大規模となる。

家計消費の推移をみてみよう。景気が良かった97年1〜3月期は、消費増税前の駆け込み需要から家計消費は前期比2.0%に伸びた。4〜6月期、消費増税の影響が出てマイナス3.5%と急落。 7〜9月期、前期比0.8%増とやや持ち直す。10〜12月期、同0.0%と停滞したが、11月の小売業販売額は前年同月比で過去最大のマイナス4.7%となり、買い控えが一段と強まった。翌98年1〜3月期、マイナス0.7%。続く4〜6月期は、マイナス0.3%と消費不況色を強める。
当時、経済企画庁が発表した「1998年度年次経済報告」には、次のようにある。

《バブル崩壊後の長期の景気停滞の後、我が国経済は緩やかながら回復を続けていました。1997年度には自立回復過程への復帰は頓挫し、停滞状態に陥ることになりました。年度当初は、消費税率引き上げに伴う駆け込み需要の反動減が予想以上に大きく現れましたが、その後回復に向かっていました。
しかし、秋以降の金融機関破綻による金融システムへの信頼低下やアジア経済・通貨危機等が影響する中、家計や企業の心理の悪化、金融機関の貸出態度の慎重化等が実態経済に影響を及ぼしました》

しかし、この分析は正確でない。97年度当初、予想以上だった消費需要の反動減はその後回復に向かっていた、とあるが、先にみたように、事実は「いったん持ち直したが再び悪化した」のである。日本経済は98年からデフレ局面に陥ったが、その引き金の一つが97年4月からの消費増税だったのだ。
生鮮食品を除くCPI(消費者物価指数)動向をみると、97年度は消費増税の影響もあり、CPIは前年度比2.1%増と伸びる。だが、不況に転じた翌98年度には同マイナス0.2%。99年度はマイナス0.1%、その後2004年度までデフレから脱け出せず、昨年度には再びマイナスに戻った。
名目消費支出も、ほぼ同様の傾向だ。日本から元気を奪っているデフレ経済は97年を起点としているのである。

むろん97年の異変は、5.2兆円の負担増を招いた消費増税のみには帰せられない。他にも所得税などの特別減税(2.0兆円)の廃止や医療費の自己負担増(0.8兆円)、年金・医療など社会保険料の引き上げ(0.6兆円)といった負担増が加わった。
同年7月に突発したタイ・バーツに始まるアジア通貨危機が触発した金融破綻と生活不安の影響も見逃せない。
にもかかわらず、消費税の2%分の引き上げが、この年の大波乱を招いた一要因だったことは疑いない。政府の白書の類は、自らの政策の失敗を認めなかったり、矮小化する傾向があるのだ。

「増税による成長」は至難

結局、「歴史の教訓」を真摯に受け止めれば、現状のようなデフレ経済下では、菅首相が主張する「増税による成長」は至難だ。
仮に首相のブレーンの小野善康大阪大教授の指南に従い、増税分を「雇用につながる支出」に回したとしても、景気効果は直ちに表れないだろう。
なぜなら、増税で徴収されたカネは通常、買い物やサービスの購入に使われていたもので、死蔵されていたものではないからである。増税された分、消費行動は抑制され支出は減ると考えられるから、景気は良くはならない。
さらに、政府が増税分を国債の償還に使うようだと、民間のカネが増税で吸い上げられて市場に出回らないため、デフレ化が進む。
菅首相が公約通り「強い財政」をつくろうと、増税分をそっくり借金減らしに充てれば、日本経済を縮めているデフレ経済をますます悪化させてしまうだろう

デフレ環境下で消費税を引き上げれば、どうなるか。一世帯当たりの平均所得は年々、ほぼ下がる一方だ(図表2)
日本経済はデフレの罠にはまり込んでいるのだ。前出のおそば屋さんの危機感は、経済の実情に即していた。
消費増税で真っ先に打撃を受けるのは、中小企業や自営業者だ。材料費(仕入費)が上がりコストアップとなるが、納入先の親会社や末端ユーザーに対し、しばしばコスト上昇分を販売(サービス)価格に転嫁しきれなかったり、据え置かざるを得ない。現実が強いる“中小企業の悲哀”である。
しかも商店やレストランのような小売・サービス業では、値上げすれば顧客が間違いなく遠のくから、我慢しないわけにはいかず、“お店の危機”は深刻だ。消費税が上がれば、利幅が縮小する上に、売上減に見舞われるリスクが増大する―という新たな事態に直面するわけだ。
10%への消費税引き上げだと、平均的な家庭で年間ざっと15万円から19万円の負担増となる。そうなると、景気はさらに一段と悪化しかねない。
菅政権が近い将来、消費税を上げるにしても「名目成長の確保・デフレからの脱却」が、欠かせない先決条件となる。




(図表1) 生鮮食品を除く総合・CPI前年同月比推移(全国)
出所) 総務省統計局

1999年
2000年
2001年
2002年
2003年
2004年
2005年
2006年
2007年
2008年
全世帯(万円)
626.0
616.9
602.0
589.3
579.7
580.4
563.8
566.8
556.2
547.5
  対前年増加率(%)
4.5
1.5
2.4
2.1
1.6
0.1
2.9
0.5
1.9
1.6
高齢者世帯(万円)
328.9
319.5
304.6
304.6
290.9
296.1
301.9
306.3
298.9
297.0
  対前年増加率(%)
2.0
2.9
4.7
0.0
4.5
1.8
2.0
1.5
2.4
0.6
児童のいる世帯(万円)
721.4
725.8
727.2
702.7
702.6
714.9
718.0
701.2
691.4
688.5
  対前年増加率(%)
3.5
0.6
0.2
3.4
0.0
1.8
0.4
2.3
1.4
0.4
(図表2) 一世帯当たり平均所得金額の年次推移

出所) 厚生労働省