Thursday, April 22, 2004

4月20日(火曜日)
自立支援のための具体策はいまだ見えない

晴れ、最低気温14度、最高気温27.7度。
朝の目覚めは今一つ爽やかさに欠ける。6時半だと言うのに、今日の暑さを予感させるように温度計は既に15度を指している。まだ、夏服の準備ができていないというのに。

昼は久し振りに飯田橋に居る友人を訪ねて昼食を共にする。30数年来の友との思い出話や忌憚の無い意見は何ともありがたく楽しい時が流れる。
3時、都庁を訪問する。ホームレスの自立支援を担当する福祉局生活福祉部計画課自立支援係の青木主査とお会いし、幾つかの質問と新法に基づく事業計画の現状を尋ねた。若さと活力の溢れるような青木主事は、2時間もの長い時間付き合ってくれ、質問にもきちんとした対応(当たり前ではあるが)され、久し振りにやる気を感じさせてくれはした。
しかし、何よりも驚くことは「ホームレスの自立の支援等に関する特別措置法」が2002年8月に施行され、既に1年8ケ月を越えたのにも関わらず自治体レベルで具体的な事業計画の策定がなされていないことである。特別措置法第6条(地方公共団体の責務)には、「地方公共団体は、第3条第1項各号に掲げる事項につき、当該地方公共団体におけるホームレスに関する問題の実情に応じた施策を策定し、及びこれを実施するものとする」と明記されているにも関わらず、である。
さらに、実効に疑問を感じさせるのは、ホームレスの自立支援が自治体の組織から見て複雑に絡み合う事案であるにも関わらず、「自立支援係」という組織の末端で対応しようとしていることである。ホームレスの自立支援を福祉的救済の観点から見れば福祉局が担当することで特に問題がある訳ではない。しかし、ホームレスの雇用を確保することで自立を支援する場合は職業安定部局の担当となるという。また、住宅確保の観点からの対応は当然別の部局が対応することになる。では、この問題に統合的に取り組むセクションが有るかと言えば、現在のところ存在していないようである。この状況で、そうでなくても縄張り意識の強い役所において、実効ある対策を期待するのは無理であるといわざるを得ない。
特別措置法の第13条(国及び地方公共団体の連携)には、「国及び地方公共団体は、ホームレスの自立の支援等に関する施策を実施するに当たっては、相互の緊密な連携の確保に努めるものとする」とある。力関係に明らかな差が有るにも関わらず、この問題に対する現在の都の体制は余りにもお粗末と言わざるを得ない。
少なくとも、この問題に本格的に取り組もうとすれば、全体を横断的に総括する一定の権限の有る組織が必要なことは言うまでもない。
また、特別措置法に基づく施策が多くの部分で既存の法令と矛盾しており、実施担当者が苦労するのは判る。しかし、特別措置法が制定されて1年8ケ月経っているのに、その点の対策がなされておらず今もって担当者が苦慮しているというのでは、自治体のやる気を疑われても仕方があるまい。
今回の都庁への訪問は少なくともやる気を持った担当者と話せたことは有意義ではあったが、対応策がほとんど進んでいないのには落胆を禁じ得ない。

5時過ぎ都庁を辞し中央公園に回ってみた。この処の暖かさが穏やかな雰囲気を醸し出してはいるが、個々に暮らす人たちが日々精気を失っているような気がしてならない。施策を立案する偉い人たちは、一度実情を見て回り中に入って生の話を聞いてみる必要があろう。そうすれば、苦境の中でもいまだ生き生きと夢を持ち続けている人たちのために、行政が何をやるべきか、何をしなければならないかが見えてくる筈である。

Wednesday, April 21, 2004

4月19日(月曜日)
ハルウララより先に1勝したい


晴れ、最低気温13度、最高気温27度。
体調不良を理由に1ヶ月ほど日記を書くのをサボってしまった。体調不良の半分は歳のせいだが、後の半分は気力の欠如だろう。この年齢になると、体力ではなく気力が行動を支配しているようである。では気力は何処から、何から作り出されるのだろうか?
友人の一人は、「気力は欲望から生まれる」と言う。うーん、そうすると自分の中に欲望が希薄になったのだろうか?ならば、欲望の対象を見つけなければなるまい。

日記をサボっている間も時は間断なく流れ、何時の間にか桜の季節は北に移り、この数日は夏日になっている。そして、聞きたくも無いようなニュースがこれでもかとばかりに流されている。
そんな中で、3月22日の高知の競馬場では、名ジョッキー武豊がかの「ハルウララ」に騎乗して連敗記録を106に伸ばした。1着賞金が僅か11万円のレースに中央競馬の人気ジョッキーが騎乗するのも異例なら、その馬券の売れ上げも前代未聞で有ったとか。
ハルウララの話は何となく自分のビジネスの未来を示唆しているようで少し寂しい。
競馬の場合もそうであるが、いかに良いプランで有ってもそれを具体化する能力が組織に備わっていなければ、容易に実現できはしない。さらに、競馬の場合は相手があってのことである。彼我の差が一定以上ある場合には、どんな一流ジョッキーが手綱を取ろうとも容易に勝てる訳ではない。
我がプロジェクトの場合は、手強い競争相手居る訳ではないがレースは障害物競争であることにようやく気が付いた。この障害は、役人気質であったり、役所の縦割り行政であったり、法律の条文であったりする。大変なのは障害の全容が見えないことであり、障害が複雑に絡み合っており、どの障害からクリアしたら良いのかが見えないことである。

さあ、ハルウララが1勝する前にこちらも何とか勝利への糸口を掴もう。

Monday, March 29, 2004

3月18日(木曜日)
若年労働者も大変な状況

雨後曇り、最低気温18度、最高気温20度。
景気は回復基調にあるとの政府のご託宣だが、周りを見渡す範囲ではどこにもそのような状況が見えない。まだまだ我慢の日が続くようだ。

久し振りに訪れた友人から、若年労働者の失業者の状況を聞かされた。曰く、24歳以下の若年労働者の失業率が10%に達していること。フリーターと呼ばれる若者が200万人、失業或いは無業者が100万人も居るとのこと。政府も現状の解消のために本腰を入れて取り組を開始しているという。確かに大変な状況にあるようである。
しかし、若年労働者の場合、敢えてフリーターや無業の道を選んだ者もおり、就業機会が無いことだけが現在の状況を招致している訳では無さそうである。彼らにとっても必要なのは将来への夢であろう。
現在、ホームレスと呼ばれる人の数は約25,000人、フリーターや失業或いは無業の若者の数約300万人。この数字の差がホームレス支援の足を引っ張ることにならなければ良いが。
若くて可能性の有る労働力が存在している中で、有る意味ハンデキャッパーとも言うべきホームレスが職を得ることはますます難しくなりそうである。
自分自身の中にすら、ホームレスを採用しても、この人たちが普通に仕事をこなしてくれるのだろうか、という疑問がある。何か問題を起す可能性が一般社会人と同じ程度の比率であったとしても、社会の評価は「元ホームレスだから」ということになるのは目に見えている。やはり、既存の組織に無理やり組み込んで自立を図るのは無理がありそうだ。
プランの行き詰まり状態と体調不良の中では、余り明るい将来が描けそうに無い。

Tuesday, March 23, 2004

3月17日(水曜日)
東京都の「都民情報ルーム」

晴れ、最低気温10度、最高気温22度。
朝から台風並みの強烈な南風が吹き荒れている。孤立したビルの10階にある事務所は、強風の掻きなでる鋭い音と、時たま起こるドーンとビルを震わせる音で何となく落ち着かない。そんな中でも隣のマンション建設は続けられている。既に7階辺りか?これが30階以上になって今日のような強風が吹き荒れたらどうなるのだろうか。他人事ながら事故の無いことを祈ろう。

強風の中NHKの帰り道、久し振りに都庁を訪ねる。福祉局生活福祉部保護課の池田係長に最近の都の政策について尋ねようと電話をしたら不在との事でなので、三階に有る「都民情報ルーム」に立ち寄ってみた。職員の方は親切な対応であったが、欲しい資料や情報は見当たらない。ホームレスに関する資料は平成13年9月の調査資料のみ、生活保護や簡易宿泊所に関する資料も纏まったものは無く通り一遍の資料のみ、都の植樹の管理に関するものは皆無。どうやら公開しなければならない物と、公開しても差し支えの無い物に限られているようだ。必要な情報は、例え嫌がられても各部局を回り頼んで歩かなければ入手は無理のようだ。

夕方6時事務所に帰って東京都のホームページを検索してみる。やはり欲しい情報は公開されていない。ま、予想通りではあったが。
そう言えば、新宿駅ではホームレスに出会わなかった。今日のように風の強い日は、風を避けて地下街や駅構内に居るはずなのに見当たらない。もしかしたら、都のホームレス対策や簡易宿泊所効果で新宿のホームレスが減少しつつあるのだろうか。

午後9時事務所を後にする。芝浦運河の遊歩道の手摺には、数日前から干したままの布団と毛布が今日もそのままになっている。ここのホームレス氏は一体どうしたのだろうか。
吹き荒れた強風も穏やかになり、3月半ばとは思えない暖かな中ゆったりと彷徨いながら、10時過ぎに帰宅。今日も疲れた。

Thursday, March 18, 2004

3月15日(月曜日)
福祉にもコスト意識が必要

晴れ、最低気温7度、最高気温15度。
携帯電話の通話を停止してあるため、朝から事務所の電話が鳴り続けている。改めて携帯電話依存を思い知らされる。ともかく一段落したところで、新しい携帯電話を手に入れるため近くのauショップに出向く。結構永く使用したため同じ機種は既に販売されていない。止むを得ず、比較的前機種に近いモデルを選んで購入した。カメラが付き、バーコードを読むことができるとか。前の携帯電話もそうであったが、我々の年代の多くが使う機能は限られる。何とかシンプルな機能の携帯電話も作って欲しいものである。
さて、新しい携帯電話を手に入れたものの、登録0件の電話は実に役に立たない存在である。当然のことながら、番号を入力しなければ掛けられない。入力しようにも相手の電話番号が判らない。ひたすら電話が掛かってくるのを待って、掛かってきたらそれを登録する。やれやれ、何時になったら表に出ても不自由しないようになるのだろう。ま、これを機会に携帯電話の情報管理とバックアップの方法を見直さなければなるまい。

昨日気になったNPOについて再度検討する。
当社でもホームレスの自立支援事業を考えたおり、NPO法人の設立を検討したことがある。日本語で非営利組織と訳されているNPOは、政府や行政から独立した自主的な集まりで、社会貢献や慈善のために活動する組織のことである。NPOに法人格を与えて支援する特定非営利活動促進法(通称NPO法)が1998年12月に施行され、現在1万近くの団体が内閣府や47都道府県から法人格の認証を得て活動している。
これらの中にはホームレスに係わる団体も数多くある。ただ、何れもそうであろうが、結構怪しげな団体も存在していると思われる。何よりも、活動資金の多くを行政に頼っていたのではNPOの名が泣こう。NPOの設立を認証した側も、認証しっ放し、資金を出しっ放しで言い訳が無い。現在どのようなチェック機能が働いているのか判らないが、少なくとも一定の規模に達し社会への影響が大きくなったら何らかの監査が必要であろう。

さて、これまでの当社の活動の記録を読み返してみると、ホームレスを支援すると称する各種の団体に対するホームレス側が過去感じていた問題点はいまだ解消していないようである。簡易宿泊所であれホームレス住宅であれ、その運営主体が自治体であれ民間の営利企業であれNPOであれ、ほぼ共通した問題が現在も厳然としてあると考えられる。
先ず、運営上の諸事項である。コスト負担は誰がするのか?入居者の負担は妥当なのか?近隣環境との調整はできているのか?等のことである。また、一個の人間として生きる上で必要なプライバシーへの配慮は十分なされているのか。運営に携わる人間も含めて、彼らに対する偏見は無いか。
現在行われているホームレス向けの居住確保の方向は集合方式で、味方を変えれば集団隔離ともいえなくもない。さらに、暗黙の入居条件が生活保護の受給者となれば尚更である。雨露が凌げてとにかく最低限の食事ができるという程度なら、楽ではないが自由度が高い路上生活を選ぶホームレスが相当数いるのは、有る意味正常な反応なのだろう。
いずれにしても、真にホームレスの自立を図るには、先ず生活の基盤である職の確保が必要である。そうしなければ、本当の意味での自立は有り得ないし、その基盤が生活保護ということでは一般社会との軋轢はますます大きくなろう。一体、年間幾らの生活保護費を含めた福祉予算がホームレスのために使われているのだろうか。役人はホームレスの数を減らすために根本的な解決より、一時凌ぎの生活保護に頼ってはいないだろうか。どっちにしてもパーフェクトな回答は無いだろう。少なくともコスト意識を持つことを役人に求めるのは無理な相談なのだろうか。

3月14日(日曜日)
行政のNPO依存

晴れ、最低気温5度、最高気温13度。
今日はホワイトデー。この歳になると関心も感慨も遠のいてしまう。何より携帯電話を無くして、余計な電話が掛かってこないのはありがたいが、誰とも連録することができない。携帯電話を嫌ってはいても何時の間にか依存し、無いと何かと不便極まりない。
体調も今一つの感があるので、一日家で過すことにする。途中になったままの本を読み、名古屋国際女子マラソンを見ながら、時間を浪費する贅沢を楽しもう。

夕方のテレビ(TBS)の「報道特番」でホームレスの特集を報道していた。エスエスエスというNPOやふれんてぃというNPOによる、ホームレス向け簡易宿泊所運営の話題が中心である。
エスエスエスのやり方は、以前報道された民間のホームレス住宅とほぼ同様である。ホームレスに住民登録をさせ、生活保護を申請しその給付を受ける。14万円弱の生活保護給付から大体10万円程を宿泊費と食事代として徴収する。既に数千人のホームレスを収容しているという。一方、ふれんてぃが運営する荒川区の「立身寮(たつみりょう)」は93人を収容している。両者の違いは、エスエスエスの収容者のほとんどが生活保護を受給しているのに対し、ふれんてぃの方の生活保護受給者は9人のみという点に有る。これは、住民の反対を理由に荒川区が認定を拒絶したため、生活保護費の給付対象者が最初に申請した9名のみで止まっているためである。しかし、生活保護を前提に運営を考えていたという点では大きな違いがある訳ではなさそうでもある。
このNPOの活動に意義を唱える訳ではないが、幾つかの疑問が拭い去れない。
一つは、個人で生活保護の申請をしても多くの場合65歳まで待たされるのに、何故エスエスエスの場合はそのほとんどが給付を受けられたのか?二つ目は、非営利法人であるNPOが運営する施設の収容者の負担が、営利企業が運営するホームレス住宅の入居者の負担がほとんど同じという点である。もちろん、個々の待遇が異なるので一概に断ずることはできないが、何となく納得し難いものがある。
これまでに何人かのホームレスから簡易宿泊所の話を聞いたことがある。それが、エスエスエスやふれんてぃであったかどうかは定かでない。彼らの話では、生活保護申請の際に自分の健康状態について偽りを書かされたそうである。そして、彼らにとっては大金である毎月10万円という負担の中で賄われる食事は、期限切れの即席ラーメンや明らかに残り物との印象を受ける食事がほとんどと感じたという。さらに、大きな問題が人間関係にあり、保護者ぜんとした善意の押し付けは大きな精神的苦痛でもあったそうである。彼は約半年でもとの路上生活に戻ったそうである。そして、二度と住みたくないとも洩らしていた。既に60歳を相当越えたと見られる別のホームレスは、何故生活保護を受けないのかという問に、二度と役所の世話にはなりたくないと答えた。役所との間で何があったのかを語ろうとはしなかったが、役所の対応はおおよそ想像が付く。多分、楽しい思い出ではなかったろう。

簡易宿泊所の運営は届出制である。したがって、その施設の状況や運営実態について行政側はほとんど知らないのが現状である。その運営に当たっているNPOに付いても、できてしまえばその実態については余程のことがなければ踏み込んで調べることはない。ここにもお役所的無責任さの影が見え隠れしている。そして、自分たちに責任が降り掛かってこないようにNPOを利用し依存しているのではないかとすら思える。
いずれにしても、近々に簡易宿泊所の実態を調べてみよう。

3月ももう半ばに達した。今年はまだサンシュユの花に出会っていない。それだけ出歩いていないということか。ま、何より明日は携帯電話を手に入れなければ・・・

Tuesday, March 16, 2004

3月13日(土曜日)
夜の上野公園

晴れ、最低気温5度、最高気温14度。
歳の所為か、過労の所為か、はたまた年来の喫煙を始めとする、これまでに否応なく体内に取り込んできた様々な化学物質がここに来て復讐を開始した所為か、好天の土曜日だというのに朝の目覚めに今一つ冴えがない。

今日の事務作業は中止、暖かい陽射しを浴びに午後から上野公園に向う。
上野駅公園口の改札を一歩外に出れば、そこは春の陽気に誘い出された人、人、人で賑わっている。冬の装いを脱ぎ捨てた人の群れは、春の華やかな彩りに変っている。既に枝には雪洞(ぼんぼり)が付けられ、何本かの大寒桜(おおかんざくら)が満開とはいえ、お花見にはまだ少し早いようだ。それなのに、杖や車椅子の老人から母の胸でまどろむ赤子まで、すべてのゼネレーション渡る人の総動員。日本人に中国人、朝鮮人にイラン人、黒人に白人に黄色人種、調べれば国連加盟国の何割かの国の人がいそうである。
この明るさ、この爽やかな喧噪は、ホームレスには居辛い時間帯のようだ。多くのホームレスは人の流れをよそ目に別世界に佇んでいる。

今日の目的は、花見の季節をホームレスはどのように過すのだろうか、を知ること。大噴水の前。科学博物館側の石積みに腰を下ろし、暫しの人間ウオッチング。
何時もならホームレスが占拠しているベンチも、若いカップルや家族連れに取って代わられている。都美術館前も国立博物館前も、ビニールハウスの住民は姿を見せない。中で眠っているのか何処かへ稼ぎに出掛けているのか?いずれにしても、春特有の雰囲気や彼我の差を見せ付けられるのを厭い避けている様に想われる。不忍池の辺りは少し様子が異なる。ここは相変わらず定住型のホームレスより移動型ホームレスの姿が目立つ。陽光を遮るものが少ないため、荷物を脇に縁石に腰掛け、あるいは芝生に寝転び暖かさを取り込んでいる。ざっと数えてホームレスらしき人の数は約40人程か。もしかしたらやかもしれない、を入れればその数は50人を下るまい。
京成線上野駅出口から公園派出所周辺、さらに西郷隆盛像のある広場にかけても3人5人の塊が幾つもできている。この辺りは昔から浮浪者の多いところである。その多くが移動型ホームレスのようで、荷物を満載したリアカーや台車が通路を避けて何台も置かれている。この周辺のホームレスは約20から25人程度か。

街に灯りが灯り始めた頃家路に向う。6時頃帰宅して気付けば携帯電話がない。さて何処で無くしたのか?再び上野に戻り、自らの足跡を追う。結局見つけることができず公園前派出所に紛失届を出し、携帯電話の利用停止の手続きをする。ホモ・サピエンス・サピエンスと「知性:サピエンス」という言葉を二つ重ねて呼ばれる亜種に属する身としては、何とも間抜けで情けない次第である。

既に時間は午後8時。周りに目をやれば、派出所脇の路上には、簡易テントやダンボールハウス、あるいはリアカーハウスと様々な様式の11戸もの即席ハウスができあがっている。ここには水があり、公衆便所があり、物資の補給地が有る。そして何より安全がある。ホームレス社会の一等地なのだろう。

10時前、ようやく帰宅。疲れた一日であった。病は弱さであり、弱さは病である。誰が言った言葉かは忘れたが、早く寝て明日に備えよう。

Friday, March 12, 2004

3月11日(木曜日)
ようやく復帰

晴れ、最低気温14度、最高気温22度。
先週は報告書の再作成その他急ぎの作業への対応で、3度も徹夜をする羽目に陥ってしまった。他人には、徹夜をするのはスケジューリングが悪いから、などと言っていたのに何とも早や情けない体たらくである。8日夕刻になって漸くすべてを完了し一段落。後には大量の疲労の残骸が残された。昨日までの心身ともにがたがた状態からどうにか抜け出せたようである。完全復活までには後数日を要しそうだ。

冬眠状態から抜け出すと、そこには先延ばしした仕事が待っている。初夏を思わせるような暖かさと、風速20メートルを越えそうな強風の中外出する。
久し振りに訪れた六本木駅。強風を避けて二人のホームレスが柱の陰で眠っている。大江戸線の開通で駅が広くなり、ここを昼間の憩いの場とするホームレスが増えたようだ。続いて向った京王線の笹塚。途中の新宿駅は相変わらずのホームレス天国。10人を超えるホームレスらしき人と行き会う。笹塚の高速道路の下にも二人のホームレスが所在なげに佇んでいる。行政側の調査がどうあれ、ホームレスの数は間違いなく増えているようだ。
笹塚から高田馬場へ、そして最後の訪問先新橋へ向う。新橋の地下鉄駅の周辺にはホームレスが多い。入り組んだ通路の彼方此方で見かけられる。一時野宿型のホームレスから乞食様の人まで、まだ6時だというのにその多くは眠りこけている。これからは日に日に暖かさが増し、ホームレスには過ごし易さがもたらされるだろう。

どうもこのところ気ばかり焦る。本当にホームレスの自立に寄与するビジネスができるのだろうか?資金は益々乏しくなり、プランの具体化は足踏み状態が続いている。今日逢った友人にも、「偏執症的」と誉められ?た。周りからはそんな風に見えるのか。何となく昔聞いたことのある、偏執症の反対を定義したジョークを思い出した。「自分が迫害されていないと理不尽に信じ込む」
さあ、明日も頑張ろう。

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